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フォトコンテスト エントリー作品 2025 《栄養士・健康支援者のための写真教室》を開催しました。 2007年4月29日に、 第1回の写真教室をスタートして以来、 毎年、同じ日に開催しています。 写真教室を開催して18年が経ちました。 (主催 パルマローザ 講師 大橋 禄郎先生) 独身時代からご参加いただいている栄養士さんが、 ご結婚なさって、今では、 家族全員でご参加くださるようになりました。 1年に1回のこの日は、 家族といっしょに楽しめるイベントとしても、 「これからもずっと続けていきたい……」と、 思い続けながら毎年開催しています。 さて、今年もフォトコンテストを開催いたします。 現在、 フォトコンテストにエントリーしていただいた順に、 お示しさせていただきました。 コンテストの発表は、 近日中に、大橋禄郎先生のブログ「ロッキー・ロード」で ご案内させていただく予定です。 https://rockyroad1.exblog.jp/ エントリー1 《足利沖藤浪頭》(あしかがおきふじなみがしら) エントリー2 《白藤、観覧中♬》 撮影 岩田 博美さん 《藤girlがお出迎え》 撮影 佐藤由起子さん エントリー4 《何が見える?》 撮影 甲斐 和恵さん エントリー5 《ハッピーバースデー!! 》 撮影 奧村 春弥くん エントリー7 《ジャストシーズン》 撮影 影山なお子 #
by palmarosaK
| 2025-05-04 23:57
| 写真教室
食コーチングプログラムスでは、 《健康視点で見る「映画研究会」》 を、2022年12月から、3か月に1回開催しています。 これまで、みなさんでご一緒した映画は、 以下のとおり。 (個人で鑑賞した映画をのぞく) (順不同) ・「RRR」インド 監督 S・S・ラージャ・マウリ ・「生きる」イギリス版 監督 オリバー・ハーマナス ・「パリタクシー」フランス 監督 クリスチャン・カリオン ・「君たちはどう生きるか」日本 監督 宮崎 駿夫 ・「こんにちは 母さん」日本 監督 山田洋次 ・「戦場のピアニスト」 フランス ドイツ イギリス ポーランド 監督 ロマン・ポランスキー ・「オペラ座の怪人」フランス 監督 ジョエル・シュマッカー ・「赤と黒」フランス 監督 クロード・オータン=ララ ・「カラフルな魔女」日本 監督 宮川麻里奈 ・「落下の解剖学」フランス ・「オッペンハイマー」アメリカ 監督 クリストファー・ノーラン ・「駅」日本 監督 降籏 康男 ・「ゴンドラ」ジョージア ・「男たちの大和」日本 監督 佐藤 純彌 ・「アノーラ」アメリカ 監督 ショーン・ベイカー ・「この世界の片隅で」日本 監督 片淵 須直 ・「アラビアのロレンス」イギリス 監督 デヴィッド・リーン 映画館は、大手シネコン系の映画館から 名画座のような渋い映画館、 そして自宅で開催した映画鑑賞会まで、 いろいろの場所で楽しんでいます。 つい先日は、 「アラビアのロレンス」を観る機会がありました。 都内の映画館では、朝10時という時間から 昔の名画を見るというスタイルが踏襲され、 しかも、定期的に行なわれていることに うれしさと力強さを感じました。 朝の早めの時刻にもかかわらず、 大勢の人で賑わっています。 映画を娯楽としてではなく、 鑑賞作品として楽しむ人がこんなにもいるなんて。 さて、「アラビアのロレンス」の主人公のロレンスは、 実在したイギリス陸軍将校・ トーマス・エドワード・ロレンス。 イギリスの巨匠デヴィッド・リーンが監督をした。 この映画は、アラブ独立闘争と それをおさえようとする英・仏・露の ヨーロッパ軍との対立の物語。 ロレンスは、 当時、アラビア半島で強大だったオスマン帝国を 解体したことで知られています。 映画では、アラビア半島のヒジャーズ鉄道の爆破など ロレンスの作戦を克明に描いている。 あらすじは、後述。 さて、私は20歳のとき、 この映画を、高田馬場にあった 「アクトミニシアター」という映画館で観ました。 そのときは、 オールナイトの上映だったので、 4本くらい映画がかかっていたように おぼろげながら記憶しています。 寝っ転がって観てもよい映画館なんて 20歳になったばかりの学生には 物珍しさもあって通っていました。 ですが、オールナイト。 この映画は3時間もかかる長編である。 よって……、 気がつけば、眠っていた……というのが 笑えない真実。 そこで、今回、日本橋の映画館で 朝10時から1日1回期間限定で上映されるとあって 楽しみにしていました。 その日は、ほぼ満席の観客。 それも、年配とお見受けする男性客が多い という印象でした。 長時間の映画とあって、 途中、休憩時間があらかじめ設けられています。 これも、いまでは珍しいタイプ。 中東の歴史の原点が「ココにあり」という映画、 ということを事前に聞いていたので、 中東に関する歴史をよく知らなくても、 「なるほど、こういうことがあったんだ……」 という理解を深めることができました。 巨匠・デヴィッド・リーン監督は、 それ以前にも、 「逢引き」 「戦場にかける橋」 「ドクトルジバゴ」などの作品で知られています。 20代のときに見損ねた映画、 30年以上の時を経て観た 「アラビアのロレンス」は、 私をとても熱くさせてくれました。 ロレンス役の、 主演・ピーター・オトゥールは、 この作品が俳優としてのデビューだったといいます。 アラブ語が話せ、 アラブの民族のために 母国・イギリスと交渉をし、 アラブ人からは、 「祖国解放の父」と仰ぐぐらいに 熱狂されていく様子は、 いま、初めてこの映画を観た私でさえ、 これから待ち受けているであろう世界のことを 考えると、とてもつらい……。 不安になりながらも、 この映画の一瞬一瞬を見逃さないぞ、 という気持ちで臨みました。 ロレンスは、結果的に、 イギリスから裏切られたことになり、 アラブ民族側にとっても 「ロレンスにだまされた」となる下りは、 スクリーンを直視できないくらい切なくなります。 そうはいっても、 このスクリーンで砂漠をかけまわっている ロレンスのかっこよさは、 いまも惚れ惚れするほど……。 アラブのために身を粉にして 戦ったロレンスなのに、 結果的に、母国・イギリスに翻弄されることに……。 この映画でもっとも有名なシーンは、 ロレンス率いるアラビア人兵士の部隊を率いて 灼熱の砂漠を越えて進軍する場面。 このとき、兵士の1人が疲労困憊のために落馬して、 砂漠に1人取り残されてしまいます。 部隊が砂漠を渡り終えたとき、 そのことに気がついたロレンスが、 その兵士を助けにいこうとするとき、 そこで、年老いた兵士の1人がロレンスに忠言する。 「彼が死ぬことは運命だ」と。 「コーランには、そう書かれている」と。 ロレンスは砂漠に引き返し、 極限状態の兵士を救い出すことに成功します。 部隊に戻ったロレンスは、 性根尽きて倒れる前にこう語るのです。 「コーランには、何も書かれていない」と。 このとき、観客にとって、 「運命は自らが切り開いてゆくものなのだ」 という気持ちを湧き上がらせることになる。 それからのロレンスは、 ますます、アラブ民族から尊敬されるようになる。 この映画が、 日本人のリーダーシップ論を論じる人たちからも おおいに参照されているようで、 この映画のタイトルをよく見かけます。 ロレンスは、もとは、 イギリスからアラブに来た陸軍将校の1人でしたが、 年月を共にすることで、 ロレンス自身も 「アラブの独立」を応援するようになったのでしょう。 母国から利用されていることとも知らずに……。 ロレンスの晩年は、 どういう晩年だったのだろう……と、今さらながらそう思います。 映画の冒頭では、ショッキングなシーンがありましたが、 実際のロレンスは、どんな気持ちで最期を迎えたのか……。 いま、ご存命だったらお尋ねしたいことがたくさん。 映画鑑賞会には、 こうした短期間にしか上映されていない 良質な映画に出会えるのが楽しみ。 自宅で3時間にもなる映画を1人で観るのはちょっと苦痛。 仲間とだから早起きもして、 長時間の映画も苦痛でなくなるのだから不思議。 次回は、8月15日に映画鑑賞会を開催します。 映画は、この日封切りの映画「YUKIKAZE」。
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by palmarosaK
| 2025-04-24 04:45
| 映画鑑賞
2025年4月7日(月)と14日(月)の2日間、 母校の女子栄養大学で、 総合指導実習(演習)を担当させていただきました。 (11時~18時50分) 講師を担当させていただく きっかけは、 2020年に、 医歯薬出版株式会社から、出版された 『栄養士のためのライフデザインブック』。 学生時代、体育の授業でご指導いただいた 金子嘉徳先生にお贈りさせていただいたところ、 (現在は、女子栄養大学の教授として ご活躍でいらっしゃいます)、 「この本をテキストに、 学生に授業をしていただけませんか」 とのおコトバをいただきました。 以来、5年間、 食文化栄養学科の講義とは別に、 保健栄養学科 栄養科学専攻で 「総合指導実習」を 担当させていただいています。 このクラスは、 高校時代にスポーツに親しんできた方々が多く、 「将来は、アスリートを支える側に……」などなど、 未来に向けて、 たくさんの夢や希望を持つ彼らに、 この2日間の授業が少しでもお役にたてるように……と、 努めています。 年に2回のこの講義のコンセプトは、 《いま、栄養士に求められる社会性と人間性》。 1日目のテーマは、 《食と健康のコーディネーターとしての役割を確認する》 2日目のテーマは、 《食のプロとしての『食コミュニケーション力』を磨く》 両日ともに、 『栄養士のためのライフデザインブック』から、 以下の項目を輪読します。 第1章 栄養士を目指す。 「栄養士」を目指すための第1歩。 ①栄養士養成校では、どんな勉強をし、 どんな学生生活を送ればよいか。 ②将来、栄養士として働くためには、 養成校のカリキュラム以外でも、調理技術を磨いておいたほうがよいか。 ③栄養士養成校の学生は、どんな就職活動をすればよいか。 ④栄養士としての就職先を考えるとき、どんな考え方をすればよいのか、 考えるヒントはあるか。 ⑤どういう職業に就職しても、栄養士として持ち続けたい使命感があるとすれば どういうものか。 第12章 「スポーツ栄養士」から「食クリエーター」へ。 ①「スポーツ栄養士」になるためには、 どういうことを知っておく必要があるか。 ②「スポーツ栄養士」をなのって仕事をするためには、 どのようなクライアントを見つければよいか。 ③「スポーツ栄養士」として仕事を続けてゆくには、 どのような考え方でやっていけばよいのか、 見習うべきモデルなどはいないのか。 ④選手の健康や食生活について、選手自身や指導者、 家族などの理解が得られないときは、 どのように対応すればよいか。 第17章 栄養士の仕事を支える「日常会話力」。 ①栄養士が身につけたおきたい日常的な会話力とは、どのようなものか。 ②私的な交流の中で"栄養士”ということから、 食や栄養に関して尋ねられることがある。 ③職場の同僚や仕事関係の人と和やかな日常会話を交わすには、 どのようなことに気をつければよいか。 ④あまり教育的にならないように、日常会話を通じて、 家族の健康意識を高めるには、どのようなアプローチがあるか。 ⑤スマホやパソコンなどを日常的な会話にも使っているが、 どんな点に注意をすればよいか。 学生からは、 「大学1年か2年生くらいに聞きたかった」という声も聞かれました。 新鮮な講義を受けたとき、 学生はよく、そんな感想を伝えてくれます。 しかし、これに対する私の答えは決まっていて、 「いま、学んでいること、そのことの意義を感じたときが、 ジャストタイミング。 何歳になっても、 そういうタイミングを感じる感性がほしい」 「そして、その機会を逃さないためにも、 受講する席は、少しでも前のほうがよい。 前の席は指定席、割増料金が加算される…… と心の中で思って、少しでも前のほうに」 と、お伝えします。 (現実には、学生は後ろの席に座りたがります) 『栄養士のためのライフデザインブック』でも、 教室で、自由に席を選べる場合には、 教師からいちばん近い席に座ることをすすめる記述があります。 さて、この講義の中では、 「食コミュニケーション」についてもお伝えします。 「食コミュニケーション」とは、 食事、食生活に関して、 自己、他者とのコミュニケーションをとること。 お祝いの気持ちを示すための好物の提供、 バレンタインに手渡すチョコレート、 食卓のコーディネート、 新しい料理をつくったときの喜び、 うれしいことがあったときの自分へのごちそう……、 などは、「食コミュニケーション」の一例。 ここでは、 私が主宰している料理教室(「アクションクッキング」)の 事例も、コミュニケ―ションの1つとして お示しさせていただきました。 料理教室を運営する栄養士の1人として、 いらっしゃる方全員が 「料理を学びにいらしているわけではない」 ということを忘れずに、 臨んでいることをお伝えしました。 私が続けている《アクションクッキング》に 10年以上通い続けている人たちから よくお聞きする話に、 「仲間に会えるから行っている」 「いろいろの悩みにも応えてくれる」 「自分が辛いときに、寄り添ってくれる」 などというものがあります。 これは、なにも、 料理教室に限ったことではないでしょう。 ちなみに、 私の家族の通っている料理教室では、 料理教室の開催日以外にも、 先生と生徒さんが集まって、 「きょうはオペラを鑑賞する日」 「きょうは、フレンチレストランに」 などと、楽しそう。 そういう私の料理教室でも、 「料理に終始」することなく、 器の旅(佐賀県・有田)、 菓子博体験、名店訪問など、 まさにアクションを楽しみます。 「食コミュニケーション」は、 けっして食卓だけのものではありません。 授業が終わった後、 各日、A4サイズの書類を書いていただきます。 1.きょうの授業で印象に残ったこと、 「やってみたいこと」があれば、以下に書き出してください。 2.卒業したら、どういう社会人生活を送りたいか、 あなたのイメージを書いてください。 3.講師・影山なお子に、なにかヒトコトがあれば、ぜひ……。 書いていただいた用紙には、 赤ペンで、添削してお返ししています。 多いときで、 1日で100人以上の学生がいたときにも、 同じようにしていました。 自分の書いた書類は、 どんなことを書いたのかなんて、 1週間も経てば、忘れていることが多いもの。 でも、 そうならないように、 講師として気をつけています。 字がとても美しく健康的に書けている学生には、 その旨を肯定的指摘したり、 質問をした学生には、 質問に関することをお尋ねしたり、 アドバイスしたり、 ていねい表現にまちがいがある学生には、 正しいていねい表現をお示ししたり……。 なかには、 「きょうの先生の講義の話を お母さんにも聞かせてあげたいと思った」 という学生も。 その学生には、直接、そのことについて 尋ねる機会がありました。 そうしたら、 「栄養士になるのはどうかな……と迷っていたけれど きょうの講義を受けて、 『もうちょっとがんばってみよう』って思った。 お母さんには、『目標が見えてきたよ』って 伝えたい」と。 アシスタントとして授業のサポートしてくださった 2人の栄養士のお仲間にも 当日は、たくさん力をお借りしました。 お1人は、特定保健指導に従事される管理栄養士の 奧村花子さん。 栄養士以外にも、「ヨガ」のトレーナーとしても、 人々の健康づくりに貢献されています。 もう1人は、埼玉県の行政栄養士として キャリアを重ねておられる加納陽子さん。 栄養士のキャリアとは別に、 ライフワークである、ウエイトリフティングに出会い、 過去には、 「ウエイトリフティング 世界チャンピォン」 になられたことも。 現在は、仕事がオフの日には、 後輩指導もなさっておられる方。 お2人とも、 学生の前で、「自分の強み」をどう育ててきたか、 というお話をなさったあと、 まもなく社会人の扉を開く学生たちに、 心強いエールをお送りくださいました。 栄養士という仕事以外にも、 自分の心にたっぷりの栄養補給をするには、 お2人もそうだったように、 「ストレスの緩和」 (仕事と家庭以外に、複数の居場所を持つ) 「よい人間関係(よいお仲間)」、 「生きがい」……があらためてたいせつ……と、 学生たちにも伝わったと思います。 最後の授業から1週間が経とうとしています。 赤字で添削したレポート、 週明けには、まもなく学生の手元に届きます。 少し前を歩いている、 先輩栄養士からのメッセージと熱い想いを乗せて……。 #
by palmarosaK
| 2025-04-19 14:57
| 女子栄養大学
![]() 広島の呉市に2泊3日の旅をしました。 今年は2月にも同地に行っているので、 2回目の旅となりました。 前回は、2月中旬に、 「大和ミュージアム」がリニューアルのために 1年間休館するというので、 その前に母と入館しておこう、 というのが、おもな目的でした。 大和ミュージアムの正式名称は、 「呉市海事歴史科学館」。 2005年4月にオープンし、 明治以降の日本の近代化に貢献した 呉の歴史を伝えています。 第2次世界大戦前には、 「戦艦大和」を建造した東洋一の軍港で、 日本一の海軍工廠(こうしょう)の町だったことを このミュージアムで知ることができました。 前回の旅が終わり、またすぐに、 広島行きの飛行機を予約したのは そんなワケがありました。 昨年10月にパルマローザの栄養士さんたちと 沖縄への旅をしたことから始まります。 毎年、ダイビングやスノーケリングで 訪れている沖縄。 ところが、 私たちが訪れた日は、 前日からの台風の影響で、 晴れていたものの、 海が荒れていたため、 離島に渡るフェリーは欠航……。 そこで、 「まだ行ったことがないところに 行きましょう」という、 ガイド役の大橋禄郎先生のご提案で、 沖縄の南部地方に向かいました。 当日、タクシーの運転手さんから 「ひめゆりの塔に行くんだったら、 その近くの『平和祈念公園』にも 行ったほうがいいですよ」と、 強くおすすめいただいたので、 一行は、その場所に行くことに。 そこには、80年前の沖縄戦で お亡くなりになった20万人の名前が 都道府県別に刻まれている石碑がありました。 それを遠目で見た瞬間、 私は走り出しました。 自分の意志というよりも、 なにかに急かされたような感じでした。 遠い昔、私が5歳のときに、 祖母から聞いたことがある、 叔父さんの話を思い出し、 「まさか」「まさか」と思いつつも、 石碑の氏名をたどって小走りに進みました。 「やはり!! 」 おおぜいの戦没者の名前をたどって行くと、 兵庫県の戦没者の石碑の前で 「島崎 護(まもる)」という名前を見つけました。 その人こそ、母方の叔父さんです。 戦艦大和の乗組員として勤務中、 4月7日に、鹿児島坊津沖で米軍機の猛攻撃を受けて、 艦は撃沈されます。 当時20歳であった護おじさんも 艦とともに海底へ。 ご存命であれば、今年100歳。 こんな出会いがあった沖縄の旅から帰った後、 戦艦大和に関する本などを たくさん、たくさん読みました。 そこで、 大和が建造された、広島・呉市に 母と出かけ、 「大和ミュージアム」でも、 叔父さんの名前を見つけることができました。 そのときの、母の表情といったら……、 「ああ、あった!! あった!!」 81歳の母も会ったことがない、叔父さん。 (母の父の弟にあたります) 今回の旅で、母は、 遠い昔、自宅の壁に、海軍の制服を着た 叔父さんの写真が飾られていたことを思い出したそうです。 そしてこうも言いました。 「私は父からも叔父さんのことは聞けなかった。 だから、あなたが(私が) 叔父さんのことを思い出してくれなければ、 私は思い出すこともなかったと思う。 戦争の話は、なんとなく『タブー』だった、 そんな空気が流れていた家だったから」 母との旅が終わり、 「戦艦大和の慰霊祭」が毎年4月7日に おこなわれていることを知りました。 大和が沈没した時間、2時23分に黙祷をささげるという 慰霊祭が毎年あったことを、今ごろ知ることになるなんて……。 どうしても、4月7日に行きたいと考えていたのですが 仕事のため叶わず、 「せめてその前日近くに行きたい……」と、 4月3日~5日まで、呉に滞在することができました。 前回の呉の旅で伺うことができなかった場所を 今回は、呉に2泊したこともあり、 じっくり訪問することができました。 ・潜水艦ツアー 日本中で、こんなに近くに潜水艦が見られるのは、 広島の呉だけとお聞きしました。 昔は、アメリカでも身近に見ることができたそうなのですが 「9.11」事件が起きたことで、 バスの停留所に「潜水隊前」という名前があるほど。 そのバス停付近から撮影されている人たちも 大勢いらっしゃいました。 私たちが伺ったときは、 9つの潜水艦を見ることができました。 ・入船山記念館(平成10年 重要文化財指定) 旧呉鎮守府司令長官官舎を中心に、 郷土館、歴史民俗資料館(近世文書館)があり、 呉の歴史に思いを馳せることができます。 建物には、「金唐紙」という特別な壁紙が 使われており、この壁紙が現存する建物としては、 北海道・小樽にある、旧日本郵船小樽支店(重要文化財)と、 広島・呉にある入船山記念館だけと、お聞きしました。 ・長迫公園(旧海軍墓地) 毎年、4月7日にこの場所で、 「戦艦大和」の慰霊祭があることを知ってから、 どうしても伺いたかった場所。 海上自衛隊の旗がたてられており、 「戦艦大和」以外にも たくさんの戦艦や潜水艦で亡くなられた方々の 石碑がありました。 とても手入れが行き届いているところで、 お掃除をなさっておられた男性が 話しかけてくれました。 「4月7日は、ここで慰霊祭がありますよ」 「ここでお亡くなりになられた方々は、 みなさん、『靖国で会おう』とおっしゃって お亡くなりになったのです」 長迫公園(旧海軍墓地)にある 戦艦大和の石碑は、ひときわ大きく、 その石碑のそばにあった戦没者の名前の欄にも、 「島崎 護」さんの名前を見つけました。 前述の男性曰く 私が叔父さんの名前の欄を凝視しているのを ご覧になって 「きれいでしょ? 遺族の方々に指摘されて、 最近、お名前のところをきれいにしたんですよ」。 これまで毎年慰霊祭があったというのに、 まったく知らないでこれまで生きていた私を 「叔父さん、許してください」という気持ちで お参りしました。 ・「歴史の見える丘」 高台になっているその場所。 目の前が「戦艦大和」がつくられた場所。 歴史の見える丘には、 ここにも、「戦艦大和」の記念碑がありました。 ・呉のマンホール。 呉のマンホールだけを撮影している人がいるくらい、 アートなマンホール。 入船山記念館に伺う道のりに ・「鉄のくじら艦」 ここのポストカードが大好きで、 今回もポストカードを買うために入館しました。 ここでは、 海上自衛隊のOBの方々が いろいろの説明をしてくださり、 海上自衛隊がどのようなお仕事をなさっておられるのかが また、実際の潜水艦の中にも入れるので お子様から大人の方まで体験されていました。 ・「福住」のフライケーキ。 以前、広島で開催された文章教室に伺ったとき、 呉に、こんなおいしいお菓子があることを 初めて知りました。 そのときも感動しましたが、今回も。 1個100円。 地元のかたらしき人が10個、20個と 頼んでいたのが印象的。 東京の「揚げまんじゅう」に似ているかな。 ・「エーデルワイス」のクリームパイ。 広島がご実家の栄養士さんからお教えいただいた 呉市民なら知らない人はいないというくらい 有名な洋菓子やさん。 午後には、売り切れになるとのことで、 午前中に伺いました。 クリームパイの下は、 固めのプリンのような生地。 なるほど、これは、やみつきになる。 ・呉冷麺 呉冷麺発祥といわれる、 「珍来軒」でいただきました。 細麺で、麺がツッヤツヤ。ピリ辛。 近くにこのお店があれば、 週1で通いたい。 海軍ゆかりの料亭だった「五月荘」。 前回伺ったときは、定休日だったので 今回やっと伺うことができました。 ここでは、「海軍御膳」をいただきました。 呉発祥の「肉じゃが」や「音戸ちりめん」 季節の釜飯をいただきました。 ・「アレイからすこじま」 海上自衛隊の潜水艦と護衛艦が イカリを下ろしている公園。 旧海軍工廠(こうしょう)のレンガ建造物や 魚雷積載用クレーンなどの歴史的なモニュメントが見られる。 以前、呉に伺ったとき、 多くのかたから 「『アレイからすこじま』には行ったほうがいいよ」 と、おすすめいただいたので 今回、やっといけました。 ・「澎湃館(ほうはいかん)」 旧海軍工廠第一弾薬庫。 いまは、レンガ倉庫のレトロな雰囲気の お土産屋さんになっています。 この「澎湃館」で、 戦艦大和の生き残り9人の方に お話をお聞きしたという、 澎湃館の社長さんのお話をお聞きするイベントがあり、 参加しました。 「戦艦大和」の最期がどんなだったかを、 まるで、生き残りの方から直接お聞きしているような 気持ちになりました。 その方によると、 乗組員の誰もが、大和が「水上特攻」であることを 自覚していたと、おっしゃいます。 私たちがその方のお話をお聞きしたのは、 4月5日の午後2時。 その方はこうおっしゃいます。 「80年前の今ごろ、 戦艦大和を水上特攻させる作戦に、 異議を唱える人が多く、大激論が 上からの命令とあれば、結果的には出撃しなくてはならない。 大和は、「水上特攻」が決まった翌日には出撃。 (通常、命令があった翌日に船が出撃する、 ということはないのだそう) 燃えるものは全部陸にあげてから出撃したそうです。 そして、4月7日、いよいよその日が……。 生き残った方々の証言を その方がまるで乗り移ったかのように お話なさるその姿に、 参加している20数名の方がたから 1時間の予定が 2時間になり……そのイベントが終了しました。 いちばん前で、 頷きながら一生懸命聞いていたからでしょう。 主催者のその方が話しかけてくださいました。 「どちらからいらしてくださったのですか」 「横浜です」 「そんな遠くから!!? 」と驚くその方に、 「母の父の弟が、乗組員だったそうで、 4月7日の慰霊祭には伺えないので きょうお話をお聞きできてよかったです」 「ずっと知らなかったんです。叔父さんのこと。 81歳になる母も……。 母の父が、戦争のことを語ることを嫌ったようで 誰も、おじさんの最期を詳しく知らなかったんです」 「偶然、昨年の沖縄の旅で、 祖母から少しだけ聞いていたエピソードを思い出して、 叔父さんの名前に巡り会うことができたんです」 「だから、やっとここに来ることができました」という私に、 その方は、こうおっしゃいました。 「生き残った方々も、こうおっしゃっていましたよ。 『なんで生きて帰ったのか』と言われるのがつらくて、 ずっと大和の乗組員だったことを言えなかったと」 4月7日は、私は、埼玉県の女子栄養大学で 11時~18時30分まで授業をしていました。 大和の沈没した2時23分。 私は授業を続けながらも、 心の中で、祈っていました。 「おじさん、80年後になってしまったけれど、 おじさんの最期を知ることができてよかったです」 「おじさんの分までいっしょうけんめい生きてゆきますね」 その日のニュースを見ていると、 広島・長迫公園での戦艦大和の慰霊祭、 鹿児島県・枕崎沖にある 戦艦大和の記念碑(米軍からの爆撃をうけたとき、 その様子がもっとも身近に見えた場所)での慰霊祭、 徳之島に建つ、戦艦大和の記念碑の前での慰霊祭の
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by palmarosaK
| 2025-04-10 00:22
| 戦艦大和
![]() 「食ジム」第139回を開催しました。 テーマは、 《料理教室などを「サロン」としての楽しい場にするには、 講師にはどんなアクションが求められるか》 座長は、男性料理教室の講師として20年近く、 キャリアをお持ちの管理栄養士の甲斐和恵さん。 アドバイザーは、大橋禄郎先生と影山が担当しました。 https://rockyroad1.exblog.jp/ 甲斐座長は、 まずは冒頭で「サロン」の定義をご説明くださいました。 サロンとは、『広辞苑』の第7版によると、 ①客間、応接室、応接セット ②上流階級が催す社交的な集まり ③社交界(の人々) ④室、店 ⑤喫茶店、パーラー ⑥定期的な美術展、見本市 ⑦ホテル・客船などの談話室 ⑧美 *ここでいう「サロン」とは、 一定の方向性やテーマのある会話を楽しむ場のこと。 「サロン」とはどのようなものなのかを、 参加者全員がイメージできたのも、 最初にこうした説明をしてくださったから。 今回の「食ジム」は、以下のように進行されました。 1.「街の教室」参加体験。 お茶、お花、お料理、語学、書道、ピアノ 楽器、合唱、そろばん、絵画、その他に 参加したときの記憶に残る、あの場面、 講師の言動、雰囲気など。 2.料理教室(その他)に参加して 「習う・学ぶ」ことのほかに得られた得られたこと、 人との出会い――あれやこれや。 3.料理教室を「サロン」として楽しい場にするための アクションプランをあげてみると……。 1番の項目は参加者全員が発表します。 「街の教室」のようなサロンに 参加されたという教室の一部を記してみました。 ・「A◎Cクッキング」と英会話教室。 ・ゴルフスクール ・バレエ(大人になってから) ・フランス語 ・ヨガスクール ・ピアノ教室 ・お菓子教室 ・そろばん教室 ・パン教室 ・ワイン・チーズセミナー ・着物サークル ・書道教室 ・英会話教室 ご参加の方々が これまで(今も) いろいろのお教室に参加なさっておられたことがわかります。 2番では、こんなご意見も出ました。 栄養士になってから、 趣味のサッカー観戦のために イギリスに行ってみたいと、 知人の英会話スクールの先生に伝えたところ、 「せっかくいくなら、1週間でも留学をしてみたら?」 と、すすめてくれたおかげで、 滞在中、ホームステイを初めて経験することができたという事例。 私自身も、2つ発表しました。 1つは、 レストランが主催する料理教室に参加したとき、 お隣に座った方に問いかけをしたことから その方のお父様が経営される専門学校の講師として 14年間「食コーチング」の講師として担当させていただくという まさか、料理教室のご縁で 自身のライフワークである 「食コーチング」の話に聞き入ってくださる方が いらしたとは……。 料理教室に通うとは、 人と人との出会いにも通じることを実感。 2つめは、 社会人になってから 都内の大学の夜間に開講されている 韓国語講座に通っていたときの事例を お伝えしました。 1996年くらいのことだったので 「冬ソナ」が放映されていたときよりも、 もっと前の時代。 韓国語を学びたいという、 日本人女性が、今より少なかったときだったので、 担当してくださった教授が 「私の勤める大学の学生として留学してみては?」 と、ご提案くださり、 1997年の夏に、 8月の1か月だけ、韓国外国語大学に留学したことを お話ししました。 参加者の1人の方は、 「大人になってバレエスクールに通っています。 最近は忙しいので、なかなか通えていないんです。 でも、1年以上通っていなくても、 たまに参加すると、先生が 『久しぶり~』『ゆっくりでいいのよ』 と、声をかけてくださるんです。 もし、私が3年通っていなかったとしても、 先生は、変わらず、同じことを おっしゃると思います」と、発表されました。 料理教室に限らず、世間にあるいろいろの教室を 「サロン」として楽しい場にするためには、 まずは、主催者としての考えをあらためなくてはいけない……、 とも、強く思います。 つい最近、都内のカフェで開催されている、 普段は、喫茶店として営業しているお店ですが、 平日の2時30分~4時くらいまでの お客が比較的少ない時間に、 「折り紙教室」をはじめ、 「税金教室」や「コンサート会場」 として、いろいろの顔を持つサロンに変身します。 「気がついたら……10年は通っているわ」という、 ご近所の方々が10人はいらっしゃいました。 そこでは、 折り紙の折り方を学ぶだけではなく、 参加者どうしの近況報告や、 子育てのこと、介護のこと、旅のこと、 いろいろのコミュニケーションが 飛び交っています。 「街の教室」は、こうして 人々になくてはならない居場所になっていることを 今回の「食ジム」に参加して改めて感じています。 そして、「サロン」は、 どこかで開業することだけが「サロン」ではなく、 私たちがいる環境がそれぞれの「サロン」になることを 体験できた貴重な機会となりました。 #
by palmarosaK
| 2025-04-06 21:50
| 食ジム
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