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![]() パルマローザ主催の 《栄養士のための輪読会》を開催しました。 輪読会は、 2013年1月27日に、 第1回をスタートさせて以来、 12年間、ロングランで開催している パルマローザセミナーの人気イベントの1つ。 振り返ると、 第1回のテーマは、以下の内容で開催しました。 栄養士・健康支援者のための「輪読会」 ー「食品成分表」をフル活用しようー 「輪読会」は、今回で27回目。 講師・大橋禄郎先生のご紹介くださる 輪読会のテキストの多くが、 私たち栄養士がふだん手にとったり、 目にとまったりしないような 雑誌や新聞の記事からチョイスしてくださいます。 今回は、 『栄養士のためのライフデザインブック』の中から (P216~218 《人の健康を支える栄養士としては、 どのような「健康観」をもてばよいか》 P218~219 《栄養士の「健康観」を仕事をしていくうえで、 どのように活用すればよいか》) 上記ページと、以下の記事を輪読会のテキストとして ご紹介くださいました。 ・「最強の戦略思考 E・ルトワック」 《旧日本軍が教えてくれた「台湾完全防衛」》 『Hanada』 2025年11月号 ・《日本はいつも面白い話に溢れている》 著 カズオ・イシグロ 『文藝春秋』 2025年9月号 ・《失われた典雅な日本語》 著 藤原 正彦 『文藝春秋』 2025年9月号 ・《日本語という「奇天烈」》 著 大岡 玲(あきら) 『文藝春秋』 2025年9月号 まずは、『栄養士のためのライフデザインブック』 (以下、『ライフデザインブック』と略称)の 輪読会の様子から記しておきたいと思います。 2020年に、このご本を上梓して5年が経ちました。 お仕事でご一緒する上役や同僚、後輩たちが 仕事のことで悩んでいるときに、 「この本があったから今がある……」と、 思っていただけるような本にしたい(!!)と、 着手してから13年かかって生まれた本。 多くの方々の手にとっていただけるよう、 私たちもは、もっとアクションを起こさなくては……と、 思ってしまうほど、 ご参加いただく方々は、すでに、実践されていました。 同僚や上役、後輩の栄養士たちが 悩んでいるとき、 「こういう本があるんだけれど……」と、 本をいつも持ち歩いておられること。 また、学校給食に携わっておられる栄養士さんは、 実習期間中、学生たちに、『ライフデザインブック』 を、紹介くださったり、 学生を指導なさっておられる先生がたにも、 このご本をお送りしてくださったり……。 先生がたにも喜ばれているという話を伺うたびに、 心強い気持ちになります。 今回、P216の 《人の健康を支える栄養士としては、 どのような「健康観」をもてばよいか》では、 「健康観」と「健康法」は違うということ。 「健康観」とは、健康についての考え方であり、 思想を意味します。 このとき気をつけたいのが 「健康観」と「健康法」を区別するということ。 一定の健康観を持つ人でも、 健康法を実践していない人がいるし、 健康法を実行していても、 「健康観」といえるほどの考えをもっていない人はいる。 3年前の2022年3月6日にも、 このページを輪読しています。 3年後のいま、 本から受けるメッセージが今までとはちがったカタチで 私の心に響いています。 私の「健康観」や「健康法」を、 どなたにでも、魅力的に伝えられるよう、 トレーニングしなくては……。 次のページでは、 ・「健康」の要因を食品や食生活だけに求めない。 ちょっと昔に、 「赤ワインを飲む人は、飲まない人よりも……」とか、 「コーヒーを飲む人は、飲まない人よりも……」とかと こんなとき、 「赤ワインがいいんだ」とか 「コーヒーがからだにいいのだ」とかと ある特定の食材に飛びつくのではなく、 大橋先生は、「その背景を見よ」と、 おっしゃっているのだと理解しています。 「ワインを飲む人はどういう交友関係なのか」 「家族との関係はどうか」 「自宅で晩酌するということは、 家族との関係は良好と考えてもいいのでは?」とか。 お酒をまったく飲まなかった人たちが こうした記事に触発されて、 「アルコールは苦手だけれど、 健康のために、赤ワインを飲むようにした」 というエピソードが日本全国中に蔓延したことも、 記憶に新しいことの1つです。 1人ずつ、各章を読んでいくたびに、 「発見」があります。 「この『肯定的問いかけ」、いいんだけれど、 ベタボメしないこと」と、 随所に、大橋先生の解説が入ります。 各章、見開きで完結するスタイルのこの本。 「食コーチング」の「問いかけ」100本ノックさながら、 いろいろの事例が網羅されている!! あらためて、この本のすごさを実感した1日でした。 その他 『Hanada』で連載を持っている エドワード・ルトワック氏。 「台湾有事」を、 ルトワック氏ならではの視点で 紹介している。 とくに、旧日本軍が1944年に立案した 「台湾防衛計画」を参考にしていることに 驚きました。 ルトワック氏は、 日本が非常に短期間で準備した 台湾防衛計画は「実に驚くべきもの」と 称賛している。 サイパン陥落後、台湾上陸を検討していた米軍は、 作戦を断念し、沖縄上陸に方針を転換。 それほど、台湾有事に対する防衛計画は、 敵の進路変更をさせるほどの頭脳プレーだった。 もし、米軍が沖縄上陸ではなく、 台湾に上陸していたら、 中国も、台湾も、日本も別の歴史を歩んでいるはず。 ルトワック氏は、こうも言う。 「日本参謀本部の工夫が、皮肉にも、 共産中国の誕生を後押ししたのだ」。 現在の台湾の徴兵制度を輪読会で 知ることができたり、 大橋先生がおっしゃる 「日本は、一度も中国共産党と戦ったことはない」 したがって、中国が言う『戦勝80年はありえない』 という理由も、ご説明いただいたことでおおいに 納得しました。 その他、 イギリス在住の作家・カズオ・イシグロ氏の インタビュー記事を読みました。 《日本はいつも面白い話に溢れている》 4歳まで長崎で過ごし、両親とともに イギリスに渡ったイシグロ氏。 11月4日には、 チャーチル国王から、 芸術や科学、公務などでの功績をたたえる、 「コンパニオン・オブ・オナー勲章」を授与。 イシグロ氏が1982年に発表した作品 『遠い山なみ』がこの夏、 日本で映画化されたことで、 イシグロ氏がその心中を述べておられる。 小説の発表から40年が経って、 映画化のオファーがあったそう。 そのときのイシグロ氏の考え方が すばらしいことを、大橋先生のガイド(輪読)で 私たちは知ることができました。 イシグロ氏は、 「名作の映画化がうまくいかないときの理由の 98%は、映画制作者が原作に忠実すぎること」 と、指摘している。 また名作の映画化がうまくいかない理由の2つめに、 「原作に忠実になればなるほど、想像力を はたらかせることを怠ってしまうこと」。 イシグロ氏の記事を輪読しているうちに、 シェークスピアの「ロミオとジュリエット」を 思い出しました。 世代を越えて受け継がれた物語であり、 日本では、「宝塚で」「帝劇で」などなど 多くの集団で上映されている。 その組織、その場所によって 原作が現代によみがえり、イキイキとした演出になり、 それらのちょっとした違いさえもが ファンにとってはうれしいもの。 海外から日本を温かい目で 見守っていただいているという満足感と 日本のこういうところが「すばらしいのだ」 ということを、イギリスも認める大作家が 「日本は計税的な衰退期にあると考える人もいますが、 そうは言っても、GDP世界第4位の国です。 とにかく世界における日本の文化的地位は 完全に変わりました。 誰もが日本を愛していますよ」 その理由として、イシグロ氏は、 「イギリスで最も翻訳されている外国文学は、 日本文学で今や翻訳小説の半分以上を占めている」 「日本は、カルチャーの国。 人々の頭に思い浮かぶのは、 宮崎駿やスタジオジブリの映画です」 「日本料理自体は、ヨーロッパ中で ヘルシーで洗練された料理として認知されている」 日本に住んでいるからといって、 日本のすばらしさをすべて知っている ことにはならないように、 異国・イギリスからご覧になった日本という国を、 こんなにも愛してくれていることにも うれしくなったきょうの輪読会でした。 大橋先生が私たちにいつも 「今度は、栄養士さんたちに、こんな本を紹介したい」 という気持ちで臨んでくださっているからこそ、 輪読会の開催を楽しみにしてくださっている方々が たくさんいらっしゃるのだと思います。 本を読むことは1人ででもできるけれど、 1行1行の字間・行間を読み込める方に ガイドしていただきながら読み続けると、 「見えなかったことが、見えるようになる」 ことを、この12年で体感しています。 現に、いま、私は、 大橋先生がご紹介くださる本はもちろんですが その本の内容をもっと深く知りたいと思うようになり、 毎日、本を読むようになりました。 それは、このブログでも ご紹介させていただいたように、 日本からイタリア(ローマ経由でフィレンツェ)までの 16時間の機内の中だったり、 沖縄・那覇から座間味島までの 2時間のフェリーの中だったり。 本を読みこむことで、 ちょっぴり自分が賢くなった気分を味わっています。 「専門分野のことしか知らない」という栄養士よりも、 「いろいろの教養を積むことを楽しんでいる」栄養士で あり続けたい……と、改めて思いました。 そして、これからも、 たくさんの本に出合って 自己研鑽に励みたいと考えています。
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by palmarosaK
| 2025-11-07 00:10
| 輪読会
![]() 沖縄・那覇~座間味島(ざまみじま)に出かけていました。 この旅は、 私たちがいつもお世話になっている 大橋禄郎先生のバースデーツアーに、 私たち栄養士も同行させていただいている、 毎年恒例の沖縄合宿です。 昨年は、沖縄・那覇には行けたものの、 台風の余波で、 船舶が欠航となり、 座間味島には行くことができませんでした。 今年は、沖縄6日間滞在中、 すべて快晴。台風の気配がまったくなし、 という、珍しい年でした。 そのような年がどれだけ珍しいかを よく知っているので、 透き通った海、慶良間ブルーといわれる、 真っ青な空と海の色……。 貴重な沖縄での滞在1日1日が愛おしくなるほどでした。 とくに、 座間味島のメインビーチである 《古座間味ビーチ》(ふるざまみ)では、 「ずっと、海の中に入っていたい……」というくらい、 温泉浴をしているような感じになったほど。 何年か前、 このビーチで、 ゴーグルを流されたことがあったなんてことも、 初めてこのビーチにいらした方には、 理解されなかったでしょう。 「え? こんなに穏やかなビーチで?」と……。 2年ぶりのスノーケリングは、 以前ほどの数のお魚には出会うことはなかったのですが、 大橋先生は、そのことを、 こうおっしゃっていたのが印象に残りました。 「以前の座間味の魚たちとは違うね」 「なんだか緊張している感じ。魚たちが」 先生の推測では、 海水浴客に対して、 魚への餌づけを禁じているのか、 魚たちが、以前ほど人間に反応しなくなったのかも……。 そうはいっても、 座間味が初めての方は、 こうもおっしゃっていました。 「こんなに魚がいて驚きました。 かわいいというより、怖いくらい~」 そう言って、近づく魚を手で追い払ったりする人も……。 海には、初日、翌日、翌々日と、 4日間滞在中、3日間、 ずっと海にいました。 1週間いて、「1日も、海に行けなかった」 という経験もしていたので、 今回の旅は、最初から最後まですべてラッキーでした。 古座間味ビーチの「海の家」で 浮き輪などのレンタルをなさっている男性が、 「みなさん、どういう関係の方々なんですか」と、 聞いてくださったので、 「栄養士です。全員」と伝えると、 「え? ボクの彼女も栄養士です!! いまは、他県で、保育園の栄養士をしているのですが、 11月から、彼女も座間味にきて、 一緒にここで仕事をすることになるんです」 などという話になり、大盛り上がり。 島に1軒しかない、スーパーで買い出しをして、 夜遅くまで、おしゃべりをしながら、 また、次の日も海に……という生活は、 とてもぜいたくな気持ちにさせてくれました。 だからでしょうか。 この島には、 本州(東京や横浜、大阪)から移住される方も 少なくないとお聞きしました。 その座間味島にも 悲しい歴史がありました。 座間味村・座間味島では、 80年前の戦争で、 大勢の方々がお亡くなりになったそうです。 総務省による「座間味村における戦災の状況」によれば、 「1945年(昭和20年)3月26日、 猛烈な空襲と、四方八方の艦砲射撃が続く中、 午前8時04分に米軍が、阿嘉島に上陸。 これが、沖縄戦における、米軍上陸第一歩となった。 同日、8時25分に慶良間島(けらまじま)、 9時ちょうどに、座間味島、 午後1時45分に、屋嘉比島(やかびじま)へ、 圧倒的な戦力をもって わずか数日で島々を占拠。 米軍の上陸を知った住民は、次第に追い詰められ、 自決を余儀なくされた。 座間味島では、234人。慶良間島では、53人。 屋嘉比島では、2家族が『集団自決』の犠牲になった」 座間味島にある座間味小中学校の裏手にある、 「慰霊の塔」では、慶良間戦での犠牲者 軍人、民間人会わせて1200余柱が、 平和の守り神としてまつられている。 毎年、3月26日には、ここで慰霊祭が行なわれるとのこと。 たった80年前に、 そのような悲しい出来事があったことを、 この旅の主役である、 大橋先生に伺ったことが何度かあります。 大橋先生が50年前に座間味に初めていらしたとき、 座間味島のおばあたちから 「あの海を埋めつくすほどの米軍の軍艦の数に怖くなった」 という話をお聞きになったことがあるとか。 ダイビングやスノーケリングでご縁があった島が そんな歴史があったのだ……ということを、 これまでも経験したことがあります。(トラック島)。 自分1人では、行くチャンスがなかったであろう、 「座間味島」。 2年ぶりに伺えてほんとうにラッキーでした。 (晴れていたとしても、 波が少しでもあると、船が欠航になるため) 昔と「ちがう」と感じるところは、 ヨーロッパからの観光客が 以前も多かったけれど、さらに多くなっていること。 外国からいらした観光客のための「バー」が 複数できていたこと、 民宿だったところが、おしゃれなホテルに変化していること。 レストランが、以前より多くなっていること。 座間味島には3泊4日。 4日間、座間味をおおいに堪能しました。 私たちをご案内くださる大橋先生は、御年89歳。 ご体調がすぐれないときがあったとしても、 「海にくれば元気になる」先生。 89歳の現役のスノーケラーは、 全国でもそんなに多くいらっしゃらないのではないでしょうか。 参加者全員が栄養士というだけあって 宿の食事、お外でいただく食事、 スーパーでいただく中食、 すべてが、好奇心旺盛のお仲間との旅だったので とても楽しい沖縄ステイでした。 どの外食店に伺っても 「これってどういう料理なのかな? 食べてみようよ」 「おなかいっぱいだけれど、 この料理気になるから頼んでいい?」 などなど、 まだ出合ったことのない、未知の料理に みんな興味津々♬ 「食」に関する好奇心が全員一致しているので 「私、小食だから……」「糖質制限しているから食べない」 などという人がいないことも、さすが栄養士。 旅先での「食シーン」が、 自分の誇るべき記念になることを、 よくわかっておられるお仲間の旅は、 とても快適でした。 沖縄にはご縁があります。 航空会社時代、 ラストフライトのステイ先が沖縄でした。 そのとき、こう思ったものです。 「このフライトが終われば、沖縄に来ることはないかも……」 ところが、栄養士になってからは、 沖縄には毎年のように訪れている……。 30代の最後の歳の2005年に、 沖縄・座間味に初めて連れて行っていただき、 20年になりました。 あのとき、勇気を出してみて「よかった~」と、 思います。 「私もご一緒させていただけませんか。 先生がたとご一緒だったら、 きっと、私も楽しいと思えると思うんです。 私もお仲間に入れていただけないでしょうか」 沖縄本島までは、 自分1人でも行くチャンスはありましたが、 「座間味島」には、 誰かとご一緒でなければ、 伺うことはなかったでしょうし、 「座間味」という名前も知らないまま、 人生が過ぎていたことでしょう。 座間味島という島に出合えたこと、 座間味島に住む人たちに出会えたこと、 毎年伺うたびに、「影山さん、いらっしゃい」 と、名前で呼ばれる環境になれたこと、 スノーケリングやダイビングの楽しさを 教え続けてくれる大橋先生に出会えたこと、 そして、毎年、沖縄の旅をエンジョイできる 栄養士仲間たちに出会えたことに、 感謝した5泊6日でした。 沖縄滞在中、 大橋先生の89歳のバースデーを 座間味島と那覇市内の2か所でおこないました。 80代後半の人生に、いつものように、 淡々と、そしてチャーミングで謙虚な先生。 私の30年後の人生も「こうありたい……」と、 思わずにはいられません。 来年も、 大橋先生の90歳のバースデーを #
by palmarosaK
| 2025-10-27 00:11
| 座間味島
![]() 「食ジム」第145回を開催しました。 テーマは、 《栄養士が「行きつけの飲食店」を持つことの意味と お店の選び方》。 主催 食コーチングプログラムス 座長は、岩田博美さん。 アドバイザーは、大橋禄郎先生 会場 大佛(おさらぎ)次郎記念会館 時間 11時~18時 1.人に連れられて行った飲食店の中で、 「ここはステキ」と思ったところといえば……その理由。 (複数可。いま、そのお店は?) 2.私が1人で行ったり、人を連れて行ったりする、 お気に入りの飲食店、大公開♬ ――その理由、場所、料理、スタッフ、接客、雰囲気 インテリア、BGM、客層、その他……。 3.栄養士が「行きつけの飲食店」を持つことに、 どんな意味があるのか。 4.「さすが栄養士! 」といわれるような飲食店の選び方のコツ、 その秘策と、要注意事項を考える。 進行プロットの「1」の項目では、 ある方が、 食通だった義父と義母の行きつけのお店だっという 岐阜のレストラン「ハーモニー」をご紹介くださいました。 東京から岐阜まで1年に1回は通っているという そのレストランに、 嫁ぎ先の家族とともに、 結婚してから今も10年以上通っているそう。 食通だった義理のお父様が、 わざわざ東京から岐阜まで足を運ぶ理由が、 家族も、納得するくらいおいしいのだとか。 お料理は、シェフの「おまかせ料理」のみ。 親子で経営されているという森の中に佇む 木の温もりが感じられるそのレストラン。 お父様が故人となった今も、 義母、夫そして、子どももいっしょに 通い続けておられるとか。 その他、複数の方があげておられたのが 「横浜 うかい亭」。 結婚50周年に、子どもたち家族全員が お祝いの食事会を開いてくれたと、おっしゃった方。 何かのイベントのときには、「ここを使う」と、 おっしゃった方。 「鉄板料理は、今までいただいた中で、ここのお料理がいちばん好き」 などなどのご発言が。 「横浜 うかい亭」の外観は、 明治時代のオランダ貿易商の迎賓館をイメージして 造られたそうで、 お食事だけではなく、 「うかい亭」の入り口から中に入るまですべてが 「おいしさ」につながっていることを再認識させられました。 今から15年ほど前、 四ッ谷にあったフレンチの名店 「オテル・ドゥ・ミクニ」でセミナーを開催したときに、 三國シェフが、おっしゃったことを思い出しました。 「僕の店は、駅から遠い場所にあるけれど、 駅からこの店にいらっしゃる道のりまでもが 『前菜』だと考えているのです。 その『前菜』である風景を味わいながら、 ここまでいらしていただきたいと……」 そのとき同席しておられた栄養士さんたち全員が 三國シェフのこのセリフにノックアウトされたことでしょう。 その他、 たくさんのお店がみなさんからあがりました。 そのとき、大橋先生が 「ちょっと待って。ここは、もちろん『お店』ではあるけれど、 お店の紹介がメインではなく、 どなたに連れて行っていただいたかが大事。 その人がどんな人だったか、その人との関係性とか……」 参加者全員が、 ご自身の思い出のお店のエピソードを ご披露くださいました。 なかには、 ご披露いただいている途中で、 涙ぐむ方も……。 「築地で店を持っていた姉の夫が、 姉の妹である私が訪ねると、 いつも東銀座や銀座のお店で 食事をごちそうしてくれたんです。 天ぷら、オムライスのお店で……。 いまでも、その近くを通ると、 思わず、どこかの扉からお兄さんが出てくるような気がして……。 亡くなったずいぶん経ちますが……」 「食ジム」が終わった後、 その方は、私にメールで 「感極まって、ウルウルしてしまいました。 それも、『食ジム』の魅力なのでしょうか。 影山先生の目を見ていたら、いろいろのことを 言いたくなってしまいました」と連絡してくださいました。 まさに、「食ジム」は 座長の「問いかけ」に瞬時に過去にワープして、 いろいろのシーンを思いだし、それをコトバにして カタチにできる場所。 そのときは思い出せなかったとしても、 参加者たちがお話ししているそばから 「私も思い出しました」とおっしゃる方も。 2番の項目では、 私たちが1人で行く、行きつけのお店や 誰かを連れて行ったりするお店なども 発表しあいました。 うれしかったのは、 「栄養士だから外食はしないんです。 だから、そういうお店は知りません」 と、おっしゃる方は、いらっしゃらないこと。 外食は、栄養補給のために行く、 ということだけではなく、 同僚や知人友人、家族との 安らぎや情報の補給の場であり、 新しい「食」の発見の場であり、 同席している人たちとの懇親の場でもあります。 先日、栄養士のお仲間でご一緒した、 「奈良~京都の旅」で、ランチをした 京都の《長楽館》をあげられた方がいました。 「また行きたいと思わせてくれるお料理の数々。 私たちを含め3組の方々で ゆったりとした空間でいただけるフレンチのお料理。 スタッフのお声がけから始まり、 思いもかけなかったサプライズまで、 最後の最後まで感激し通しでした。 今度は、宿泊を兼ねてゆっくり伺いたい」と。 外食を温かい目でご覧になっているだけではなく、 ご自身も「外食を楽しんでいる栄養士」として、 ご披露されていたのが印象に残りました。 そのお店がいまは、なくなっているとしても、 なぜ、そのお店が行きつけだったのか、 なぜ、そのお店を人に紹介したくなるのかなどは、 一般的に栄養士の多くがおっしゃる 「野菜が多く食べられるから」「ヘルシーだから」 という理由ではありません。 いつ行っても、 店主があたたかく対応してくれたり、 連れにまでやさしく話しかけてくれたり……といった 居心地のよい雰囲気づくりが、 「また来たい」と思わせてくれるのだと 改めて思います。 昔とちがって今は、SNSでお店選びが簡単になりました。 しかし、不特定多数の人が「イイネ」という店が 果たして、自分にとって居心地がよいかは別もの。 アドバイザーの大橋先生は、 「ネットでよい評判だった」という人が 紹介する店は、「そうでもないことが多い」と指摘されます。 「自分の足で歩き、直感で『ここイイかも』と 思って入った店は、ほとんど失敗がない」 と、おっしゃいます。 二次情報は、あくまでも二次情報。 自分の足で歩き、そこに通い、お店の方々と 信頼関係ができた店は、その人にとっては「名店」であり、 その人の紹介があるとさらに「おいしさ」が倍増することも、 私たちは日常的に体験しています。 「さすが、栄養士!! 」とよばれる飲食店の選び方のコツ、 その秘策と、注意事項は、 「食事情に詳しい達人」と同行する機会をたくさんつくること。 そして、注意事項の一例として、 栄養士にありがちな、 「野菜たっぷりのメニューが多いお店ですよ」 「低カロリーのメニューが多いお店ですよ」 「旬の野菜やくだものが多いお店ですよ」 「油を使った料理をほとんど使わないお店ですよ」 などという常套文句は使わないこと。 「じゃあ、どうすればいいの?」 そう疑問に思った方は、 ぜひ、「食ジム」にいらしてください。 いつからでも、歓迎します。
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by palmarosaK
| 2025-10-15 23:55
| 食ジム
2025年9月20日(土)~23日(火)まで、 非営利栄養士ネットワーク《パルマローザ》の メンバーと、 奈良~京都への3泊4日の旅をしました。 この旅に続いて、 2025年10月1日(水)~6日(月)は、 恒例の沖縄合宿(!!?) 昨年は、台風で、慶良間諸島までの フェリー便が欠航となったため、 今回は、2年ぶりに、座間味島に 行くことができました。 (この旅については次回に) 今回は、奈良から京都への旅の想い出を 振り返ってみます。 9月20日(土)は、 奈良県栄養士会主催の研修会に 参加させていただきました。 講師は、大橋禄郎先生。 テーマは、 《健康や食生活をもっと魅力的に語るには、 文章力をこんなふうに磨こう》。 (時間 14時30分~16時30分 会場 帝塚山大学) イントロクエスチョンからスタートした先生の2時間のご講義は、 対面ならではのご講義で、 笑いあり、大きな頷きありの、 とても有意義な1時間40分でした。 ホームグラウンドである横浜でお聞きするのと、 アウェイの場所で拝聴するのとでは、 先生のお話の内容がとても新鮮に聞こえるのです。 初めての参加者が多い会場では、 いつも以上に、1つ1つ、 ていねいにじっくりとお話を進められる先生のご講義は、 「私も、先生のような名講義をおこないたい」 と、思わせてくれる貴重な場。 参加者の方の中には、 昨年7月、影山が、奈良県栄養士会の研修会で お話しさせていただいたときにも参加くださった方が いらっしゃったりして、1年ぶりの再会を楽しみました。 大橋先生のご講義が終盤に入り、 1人の栄養士さんが質問をなさいました。 「先生が『栄養と料理』の編集長時代、 とてもユニークな記事を展開されていたと 記憶しています。 先生は、どのようにして、 それらのテーマや人を探されるのでしょうか」 このご質問に対して、 大橋先生は、 「栄養士さんがそういうご質問をなさるとは……いいですねぇ。 すごく深いご質問ですね」と、 おっしゃっていたのが印象的。 その栄養士さんがご質問なさった意図には、 たとえば、以下のような 当時の雑誌の方針をお知りになりたいと 思ったのではないでしょうか。 「『栄養と料理』という雑誌は、見たとおり、 栄養と料理に関する雑誌。 だから、食や健康、栄養、料理が 中心になるのは当然としても、 大橋編集長時代には、 想定外の話題が、しばしば取り上げられた。 当時、社会問題になりつつあった、 「摂食障害」に関する継続的な記事、 「主婦にとって男友だちとは」という、 いわば女性のライフスタイルに関する記事、 そして、国際女子マラソンをはじめ、 各種スポーツと食生活に関する……などなど。 それらの企画は、どうして生まれたのでしょうか」 確か、大橋先生の編集長時代には、 『栄養と料理』の表紙も、 当時、大活躍だった写真家(三好和義氏)、 デザイナー(亀海 昌次氏/かめがい)や 執筆面では、作家(畑 正憲氏/ムツゴロウ)にも ご依頼なさったというお話もお聞きしました。 だからこそ、先生の手がけられた『栄養と料理』は、 現に、いまもこうして 人々の心に残っているのだ……と、感じ入りました。 愛読者の1人としては、 そのようなスタイルの雑誌がいまもあったとすれば、 読者1人1人の教養の幅が広がり、 それによって、専門知識以外の人生の視野まで 広く、深くすることができたのでは……と、 思ったりしました。 奈良県でのご講演の翌日は、 私たちは、京都の高島屋に急ぎました。 この日(9月21日(日)は、 絵師・木村英輝氏(キーヤン)のイベントに参加するため。 《長楽館》のクジャクの壁画や、 《青蓮院》のふすま絵のすばらしさに感激して以来、 キーヤンの作品をちょくちょく購入しています。 京都の店舗では、食器やのれん、クッションカバー、布……。 横浜中華街のセレクトショップでは、 エコバッグやガマグチを……。 この日のために、 昨年、京都のキーヤンスタジオ(ショップ)で 購入した布で、知人に作っていただき、 これを着て、キーヤンイベントに参加しました。 このとき、最前列にいた2人の女性に、 声をかけていただきました。 「ステキなワンピースね。よく似合っておられるわ」 「みなさん、どちらから? お揃いのお帽子がかわいい」 「みなさんは、何をなさっておられる方なの?」 1人の女性は、 キーヤン(ご本人は呼び捨て希望)の奥様。 もう1人の女性は、産経新聞の記者で、 「キーヤンを追っかけて(取材)5年になるんですよ。 へ~!! 横浜からいらしたの? 私、以前は、横浜・元町に住んでいたのですよ。 いまは、転勤で京都に……。 ここは暑いです。元町が懐しい。 元町は、海が近いから涼しいですよね?」 まさか声をかけていただいたのが キーヤンの奥様だったとは!! そして、横浜・元町に住んでおられたという、 記者の女性とも、 横浜つながりのご縁で、お話が弾みました。 この日参加した全員に、 シルクスクリーンのTシャツをプレゼントしていただきました。 (目の前でスタッフが、つくってくださいます) ずっと憧れていた、ナマのキーヤンにお目にかかれたこと、 キーヤンと写真を撮れたこと、 そして、まさか、キーヤンと お話をさせていただけたことに感激した1日でした。 翌日は、 昨年12月に、国の重要文化財に指定された 円山公園に隣接する《長楽館》でランチをいただきました。 15年ほど前に、この前を通ったとき、 一度、カフェに立ち寄ったことがあります。 そのとき、 「こんなステキな建物がホテルだなんて。 今度は泊ってみたい」と思い、 それから何度か宿泊しています。 最後に泊ったのは、2021年3月。 (関東はコロナ禍で大騒ぎ。 京都も、私たちが泊った翌日から 円山公園のしだれ桜のライトアップが中止になり、翌月から ホテルも休館になったことを知りました) ランチタイムは、 私たちを含め、2~3組。 席と席との間隔がとても広く、 これで「満席」とするお店のホスピタリティを感じました。 「食」関係者として、 いろいろのホテルの「食」をいただくのも 私たち栄養士のお仕事。 ランチタイムに、 3時間近くかけてゆったりとした気持ちでいただきました。 最終日は、40年ぶり(!! ) に、 国宝の「三十三間堂」に行きました。 大学受験した、女子大がこの近くにあり、 「私が京都の女子大生になったら、 毎日のように、この前を通るんだなぁ」と、 思いながら、受験したことを思い出したりもしました。 「三十三間堂」は、私たちが拝観した前日に、 タモリさんの『ブラタモリ』で「三十三間堂」が 放送されていたこともあって、 大勢の観光客と修学旅行生で賑わっていました。 その後は、私たち一行は清水寺へ……。 清水坂は、人、人、人で身動きができないほど。 それでもその先に清水寺が見えると、うれしい。 帰りの新幹線の時間が迫っていることもあって、 3泊4日の奈良から京都の旅は、 ここで、京都の「終わり」となりました。 大勢で出かける旅が 「苦手」な方もいらっしゃるかもしれません。 が、私たち栄養士のお仲間は、みなさん、全員が旅名人。 3人部屋、4人部屋であっても、 「ストレスフリー」とおっしゃる方がほとんど。 その理由の1つには、若い頃からのご経験。 登山が趣味で、集団で寝泊まりすることは通常のこと。 バレーボールが趣味という栄養士さんは、 以前から遠征で各地にお出かけになり、 お仲間と同室の「旅」のキャリア。 そうした経験を持つ方は、 旅をご一緒していても、 「ぜんぜん、疲れませんよ」 「ぐっすり眠れます」と、おっしゃって 聞いている私たちまでさわやかな気持ちに……。 10月1日からの「沖縄」5泊6日の旅は、 また、後日、このブログでご紹介させていただきます。
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by palmarosaK
| 2025-10-08 02:31
| ぶらパルマ
![]() イタリアに出かけていました。 フィレンツェ3泊、ベネチア4泊、 計7泊9日間の旅を楽しみました。 10年ぶりのイタリアは、平均気温26℃。 からっとしたさわやかな空気が快適でした。 羽田からローマ空港までのフライトタイム 14時間45分の機内で熟読した本の感想を ここに記録しておきたいと思います。 旅に出る前から購入していたものの、 分厚い本ゆえ、まだ全部読めておらず、 「長時間機内にいるこのときにこそ!! 」 と、機内に持ち込んだ本は、以下の2冊。 ★『大統領に告ぐ』 ――硫黄島(いおうじま)からルーズベルトに与ふる書―― (著書 門田隆将 産経新聞出版) ★『月刊 Will』9月号 《戦後80年特集 「米大統領に告ぐ!! 日本の言い分」他》 (ワック株式会社) 『大統領に告ぐ』は、 恩師からすすめていただいたご本。 硫黄島での戦いは、 陸軍中将の"栗林忠道”中将のエピソードが有名ですが、 (*栗林中将は、硫黄島の最高指揮官。 アメリカ軍から、もっとも手強い敵と評された軍人。 のちにハリウッド映画『硫黄島からの手紙』にもなった) 『大統領に告ぐ』では、 海軍の市丸利之助少将と、 ハワイ出身の日系二世で20歳の兵士の青年に 焦点が当てられています。 市丸利之助少将、三上兵曹という人物が どんな人物だったのか、 どこで、何をしていた人なのかが この本を通して、 「硫黄島での戦い」が立体的に見えてきました。 市丸少将は、 俳句や短歌を嗜む「歌人」としての一面もあった方。 与謝野鉄幹・晶子夫妻が注力されたことで 知られる歌誌『冬柏(とうはく)』にも 歌を寄せられたそうです。 硫黄島に着任するまでは……。 硫黄島では、小笠原兵団長・栗林陸軍中将の下、 陸軍1万8千人。 海軍トップの市丸利之助少将の下、 海軍およそ3千人。総兵力2万1千人。 対して、米軍の上陸部隊は、 述べ、11万1千人!!! 米軍の砲撃の凄まじさは、 「『1分間』のインターバルもない連続砲撃で、 『島の地形が変わる』と言われるほどのものだった」と、 語り継がれています。 ご本を読んで、 初めて、市丸少将が アメリカのルーズベルト大統領宛に 「ルーズベルトに与ふる書」という手紙を、 激戦地で玉砕が迫る中で、 相手国・アメリカの大統領に対して 「一通の手紙をしたためた」ことを知りました。 著者・門田氏は、 「自らの生を終えるとき、相手の国のトップ、 すなわち大統領に『手紙を出す』という発想は、 そもそもどこから生まれたのだろうか」と述べておられる。 「しかも、自分がいる場所は、太陽の光も届かない硫黄島の 地下壕の中である」 「そして硫黄の匂いが充満する高温の洞窟で、 ろうそくの火をたよりに若き日系二世の二等兵曹が その手紙を英語に翻訳し、その『英文』と『和文』を 託された参謀が『自らの肉体が滅びることを前提に』 手紙を『アメリカ側に届けた』という話を知ったら、 どう思われるどうか」 当時、アメリカ軍は、徹底した情報収集を展開していた。 遺体のふところに、日本軍の命令書や暗号書を 隠し持っているすべてのものを「収集」していることを 海軍の幹部たちは知っていたため、 「腹に巻いておけば、必ず敵に渡る」と考えていたのでは ないかと、門田氏は著書の中で述べておられます。 「日米の太平洋戦線での最大の激戦となった硫黄島の戦いで 生まれたこの『奇跡の物語』は、日本では残念ながら 知る人が少ない。むしろ、アメリカでのほうが有名だ」 (以上、すべて門田氏著書『大統領に告ぐ』から引用) しかも、その手紙は、アメリカのメリーランド州の州都・ アナポリスの海軍士官学校の資料庫に、 いまも大切に保管されているそうです。 市丸少将の手紙の趣旨を、門田氏は著書では 少将の旧字を以下のように意訳してくれています。 「日本がペリー提督の下田入港を機として、 世界と広く国交を結ぶようになって約100年、 この間、日本国の歩みは難儀を極め、 自らが望んでいるわけでもないのに、 日清、日露、第一世界大戦、満州事変、 支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至った」 「これについてはあなた方は、 日本人は好戦的であるとか、こうれは黄禍だと貶め、 あるいは日本の軍閥の専断などであるとしている。 だが、それは、想いもかけない的外れなものといわざるを得ない」 「あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一の宣伝材料と している。だが、日本が自滅から逃れるため、 このような戦争を始めるところまで追い詰められた事情は、 あなた自身が最もよく知っているところだと思う」 (中略) 「あなた方のすることを見れば、白人、とくに、 アングロサクソンによって世界の利益を独り占めしようとし、 有色人種をもって、その野望の前に奴隷化しようとするものに ほかならない。 そのためにあなた方は、奸策をもって有色人種をだまし、 いわゆる『悪意ある善政』によって彼らから考える力を奪い、 無力化しようとしてきた」 「近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、 有色人種、ことに東洋民族をして、あなた方の束縛から 開放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解 しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、 かつては、友邦であったはずの日本人を野蛮として 公然と日本人種の絶滅を口にするようになった。 それは、あなた方の神の意向に叶うものなのか?」 日本語で厳しく指摘している原書を、 ハワイ日系2世の三上兵曹が英文に翻訳。 門田氏は、この英文を「すばらしい翻訳」だと指摘されます。 市丸少将が書いた原文である、 「奴隷化」というコトバを使っている箇所を 三上兵曹は、 アメリカ人が「反発」するであろうと考え、 「犠牲」というコトバに変えるなど、 最後まで一挙に読み進めてもらうための工夫を あちこちにちりばめたといいいます。 市丸少将のこの「書」は、 従軍記者のエメット・クロージャー(当時52歳) によって発見され、 当時大スクープになったとも。 しかし、この記事、 アメリカでは海軍の検閲を受け、 およそ3か月間差し止められたとか。 なぜなら、 アメリカの”戦争の大義”を 根底からひっくり返す内容であると思われたから。 だからこそ、 『ルーズベルトに与ふる書』が、即、 新聞紙面に掲載されるのをアメリカ側は恐れたのだろうかと、 門田氏は指摘されています。 日本は、好んで戦争をしたわけではない。 日本は、領土を拡張しようと思って戦争したわけではない。 アメリカ諸国の、アングロサクソン主義が、 日本をはじめとする有色人種を「下」に見て さまざまな妨害をしてきた……。 そのため、日本はやむを得ずに戦うこととなった……。 この事実に、驚きました。 今回、門田氏の著書では、 今まで知られることがなかった市丸少将、 そして、20歳7か月で戦死した 日経二世の三上兵曹がどんな青年だったのか、 その生い立ちから家庭・教育環境まで 知ることができました。 門田氏は、三上兵曹の生家があったハワイにまで 足を運んで取材をしています。 そこで彼のお墓にたどり着きます。 しかし、その墓には骨は入っていない……。 三上兵曹の父・六一郎は、 広島県大竹市の出身で、 兄弟を養うため、10歳で北海道、 その後、ハワイに渡った。 三上兵曹は、六一郎の長男。兄弟は8人。 門田氏は、2025年2月に、 三上兵曹の末の妹"節子”(85歳)にハワイで会っています。 三上兵曹は、とても優秀な子どもだったようで、 現地の学校が終わった後に、 当時日系1世の子どもたちが通っていた日本語学校の校長先生が 「ここにいてはもったいない。 日本にどうしても連れて帰りたい」と、 両親を説得して15歳で日本に渡ったそうです。 その後、広島の旧制の崇徳中学校に進み、 卒業を待たずに海軍に入隊し、 アメリカ側の情報を日本語で通訳するという 「通信諜報員」の1人として活躍。 英語も日本語も堪能な人材は、 当時の陸軍、海軍でも貴重だったといいます。 いよいよ、戦局が最終局面となったとき、 市丸少将は、 「(中略)襲来する敵に立ち向かうわが軍の矢弾は、 もう尽きた。(中略) 日本の存亡は眼前に迫っている。 諸子はよく自己を見つめ、七生報国、 100年後の日本民族のために殉ずることを切望する」 最後の 「100年後の日本民族のために……」という一文は、 戦後80年後の私たちに「問いかけ」られているような 気持ちになりました。 80年前、日本の民族のために 命をかけて戦った人たちのおかげで、 今の日本がある。 先人たちが命をかけて戦った歴史の1つ1つを、 もっと知りたい……と、強く思いました。 80年前、自身の「死」を前提に、 敵国の大統領に、手紙を書いた、市丸利之助少将と ハワイ生まれの日系2世・三上兵曹、 そして、この手紙を英文、和文とを腹に巻きつけて 戦死した人たちがいたからこそ、 この手紙が日の目を見たのだと考えると 涙がとまらなくて……困りました。 14時間45分の片道フライトタイムは、 機内食の時間をのぞき、 ずっと、この本を熟読していました。 まわりは、 映画を観たり、音楽を聴いたり、 薄暗い機内の中で、読書灯で この1冊を読み終えた自分を 褒めてあげたいと思います。 戦後、80年後の日本で この本に出会えたことに感謝したと同時に、 著者の門田隆将氏に、 「この本を出してくださったことに感謝」の 気持ちでいっぱいになりました。 到着したイタリア・フィレンツェ空港までは、 ローマ空港から国内線に乗り換えて1時間。 深夜に到着した空港からホテルに向かうタクシーの中で カメラを忘れたことに気がつき、 車内でいただいていた領収書をもとに、 電話をしたら、すぐにそのタクシーの運転手が 戻ってきてくれてカメラを取り戻すことができました。 日本だけではなく、 イタリアでも忘れものが戻ってきた!!
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by palmarosaK
| 2025-09-17 03:10
| 『大統領に告ぐ』
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