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2025年4月7日(月)と14日(月)の2日間、 母校の女子栄養大学で、 総合指導実習(演習)を担当させていただきました。 (11時~18時50分) 講師を担当させていただく きっかけは、 2020年に、 医歯薬出版株式会社から、出版された 『栄養士のためのライフデザインブック』。 学生時代、体育の授業でご指導いただいた 金子嘉徳先生にお贈りさせていただいたところ、 (現在は、女子栄養大学の教授として ご活躍でいらっしゃいます)、 「この本をテキストに、 学生に授業をしていただけませんか」 とのおコトバをいただきました。 以来、5年間、 食文化栄養学科の講義とは別に、 保健栄養学科 栄養科学専攻で 「総合指導実習」を 担当させていただいています。 このクラスは、 高校時代にスポーツに親しんできた方々が多く、 「将来は、アスリートを支える側に……」などなど、 未来に向けて、 たくさんの夢や希望を持つ彼らに、 この2日間の授業が少しでもお役にたてるように……と、 努めています。 年に2回のこの講義のコンセプトは、 《いま、栄養士に求められる社会性と人間性》。 1日目のテーマは、 《食と健康のコーディネーターとしての役割を確認する》 2日目のテーマは、 《食のプロとしての『食コミュニケーション力』を磨く》 両日ともに、 『栄養士のためのライフデザインブック』から、 以下の項目を輪読します。 第1章 栄養士を目指す。 「栄養士」を目指すための第1歩。 ①栄養士養成校では、どんな勉強をし、 どんな学生生活を送ればよいか。 ②将来、栄養士として働くためには、 養成校のカリキュラム以外でも、調理技術を磨いておいたほうがよいか。 ③栄養士養成校の学生は、どんな就職活動をすればよいか。 ④栄養士としての就職先を考えるとき、どんな考え方をすればよいのか、 考えるヒントはあるか。 ⑤どういう職業に就職しても、栄養士として持ち続けたい使命感があるとすれば どういうものか。 第12章 「スポーツ栄養士」から「食クリエーター」へ。 ①「スポーツ栄養士」になるためには、 どういうことを知っておく必要があるか。 ②「スポーツ栄養士」をなのって仕事をするためには、 どのようなクライアントを見つければよいか。 ③「スポーツ栄養士」として仕事を続けてゆくには、 どのような考え方でやっていけばよいのか、 見習うべきモデルなどはいないのか。 ④選手の健康や食生活について、選手自身や指導者、 家族などの理解が得られないときは、 どのように対応すればよいか。 第17章 栄養士の仕事を支える「日常会話力」。 ①栄養士が身につけたおきたい日常的な会話力とは、どのようなものか。 ②私的な交流の中で"栄養士”ということから、 食や栄養に関して尋ねられることがある。 ③職場の同僚や仕事関係の人と和やかな日常会話を交わすには、 どのようなことに気をつければよいか。 ④あまり教育的にならないように、日常会話を通じて、 家族の健康意識を高めるには、どのようなアプローチがあるか。 ⑤スマホやパソコンなどを日常的な会話にも使っているが、 どんな点に注意をすればよいか。 学生からは、 「大学1年か2年生くらいに聞きたかった」という声も聞かれました。 新鮮な講義を受けたとき、 学生はよく、そんな感想を伝えてくれます。 しかし、これに対する私の答えは決まっていて、 「いま、学んでいること、そのことの意義を感じたときが、 ジャストタイミング。 何歳になっても、 そういうタイミングを感じる感性がほしい」 「そして、その機会を逃さないためにも、 受講する席は、少しでも前のほうがよい。 前の席は指定席、割増料金が加算される…… と心の中で思って、少しでも前のほうに」 と、お伝えします。 (現実には、学生は後ろの席に座りたがります) 『栄養士のためのライフデザインブック』でも、 教室で、自由に席を選べる場合には、 教師からいちばん近い席に座ることをすすめる記述があります。 さて、この講義の中では、 「食コミュニケーション」についてもお伝えします。 「食コミュニケーション」とは、 食事、食生活に関して、 自己、他者とのコミュニケーションをとること。 お祝いの気持ちを示すための好物の提供、 バレンタインに手渡すチョコレート、 食卓のコーディネート、 新しい料理をつくったときの喜び、 うれしいことがあったときの自分へのごちそう……、 などは、「食コミュニケーション」の一例。 ここでは、 私が主宰している料理教室(「アクションクッキング」)の 事例も、コミュニケ―ションの1つとして お示しさせていただきました。 料理教室を運営する栄養士の1人として、 いらっしゃる方全員が 「料理を学びにいらしているわけではない」 ということを忘れずに、 臨んでいることをお伝えしました。 私が続けている《アクションクッキング》に 10年以上通い続けている人たちから よくお聞きする話に、 「仲間に会えるから行っている」 「いろいろの悩みにも応えてくれる」 「自分が辛いときに、寄り添ってくれる」 などというものがあります。 これは、なにも、 料理教室に限ったことではないでしょう。 ちなみに、 私の家族の通っている料理教室では、 料理教室の開催日以外にも、 先生と生徒さんが集まって、 「きょうはオペラを鑑賞する日」 「きょうは、フレンチレストランに」 などと、楽しそう。 そういう私の料理教室でも、 「料理に終始」することなく、 器の旅(佐賀県・有田)、 菓子博体験、名店訪問など、 まさにアクションを楽しみます。 「食コミュニケーション」は、 けっして食卓だけのものではありません。 授業が終わった後、 各日、A4サイズの書類を書いていただきます。 1.きょうの授業で印象に残ったこと、 「やってみたいこと」があれば、以下に書き出してください。 2.卒業したら、どういう社会人生活を送りたいか、 あなたのイメージを書いてください。 3.講師・影山なお子に、なにかヒトコトがあれば、ぜひ……。 書いていただいた用紙には、 赤ペンで、添削してお返ししています。 多いときで、 1日で100人以上の学生がいたときにも、 同じようにしていました。 自分の書いた書類は、 どんなことを書いたのかなんて、 1週間も経てば、忘れていることが多いもの。 でも、 そうならないように、 講師として気をつけています。 字がとても美しく健康的に書けている学生には、 その旨を肯定的指摘したり、 質問をした学生には、 質問に関することをお尋ねしたり、 アドバイスしたり、 ていねい表現にまちがいがある学生には、 正しいていねい表現をお示ししたり……。 なかには、 「きょうの先生の講義の話を お母さんにも聞かせてあげたいと思った」 という学生も。 その学生には、直接、そのことについて 尋ねる機会がありました。 そうしたら、 「栄養士になるのはどうかな……と迷っていたけれど きょうの講義を受けて、 『もうちょっとがんばってみよう』って思った。 お母さんには、『目標が見えてきたよ』って 伝えたい」と。 アシスタントとして授業のサポートしてくださった 2人の栄養士のお仲間にも 当日は、たくさん力をお借りしました。 お1人は、特定保健指導に従事される管理栄養士の 奧村花子さん。 栄養士以外にも、「ヨガ」のトレーナーとしても、 人々の健康づくりに貢献されています。 もう1人は、埼玉県の行政栄養士として キャリアを重ねておられる加納陽子さん。 栄養士のキャリアとは別に、 ライフワークである、ウエイトリフティングに出会い、 過去には、 「ウエイトリフティング 世界チャンピォン」 になられたことも。 現在は、仕事がオフの日には、 後輩指導もなさっておられる方。 お2人とも、 学生の前で、「自分の強み」をどう育ててきたか、 というお話をなさったあと、 まもなく社会人の扉を開く学生たちに、 心強いエールをお送りくださいました。 栄養士という仕事以外にも、 自分の心にたっぷりの栄養補給をするには、 お2人もそうだったように、 「ストレスの緩和」 (仕事と家庭以外に、複数の居場所を持つ) 「よい人間関係(よいお仲間)」、 「生きがい」……があらためてたいせつ……と、 学生たちにも伝わったと思います。 最後の授業から1週間が経とうとしています。 赤字で添削したレポート、 週明けには、まもなく学生の手元に届きます。 少し前を歩いている、 先輩栄養士からのメッセージと熱い想いを乗せて……。 #
by palmarosaK
| 2025-04-19 14:57
| 女子栄養大学
![]() 広島の呉市に2泊3日の旅をしました。 今年は2月にも同地に行っているので、 2回目の旅となりました。 前回は、2月中旬に、 「大和ミュージアム」がリニューアルのために 1年間休館するというので、 その前に母と入館しておこう、 というのが、おもな目的でした。 大和ミュージアムの正式名称は、 「呉市海事歴史科学館」。 2005年4月にオープンし、 明治以降の日本の近代化に貢献した 呉の歴史を伝えています。 第2次世界大戦前には、 「戦艦大和」を建造した東洋一の軍港で、 日本一の海軍工廠(こうしょう)の町だったことを このミュージアムで知ることができました。 前回の旅が終わり、またすぐに、 広島行きの飛行機を予約したのは そんなワケがありました。 昨年10月にパルマローザの栄養士さんたちと 沖縄への旅をしたことから始まります。 毎年、ダイビングやスノーケリングで 訪れている沖縄。 ところが、 私たちが訪れた日は、 前日からの台風の影響で、 晴れていたものの、 海が荒れていたため、 離島に渡るフェリーは欠航……。 そこで、 「まだ行ったことがないところに 行きましょう」という、 ガイド役の大橋禄郎先生のご提案で、 沖縄の南部地方に向かいました。 当日、タクシーの運転手さんから 「ひめゆりの塔に行くんだったら、 その近くの『平和祈念公園』にも 行ったほうがいいですよ」と、 強くおすすめいただいたので、 一行は、その場所に行くことに。 そこには、80年前の沖縄戦で お亡くなりになった20万人の名前が 都道府県別に刻まれている石碑がありました。 それを遠目で見た瞬間、 私は走り出しました。 自分の意志というよりも、 なにかに急かされたような感じでした。 遠い昔、私が5歳のときに、 祖母から聞いたことがある、 叔父さんの話を思い出し、 「まさか」「まさか」と思いつつも、 石碑の氏名をたどって小走りに進みました。 「やはり!! 」 おおぜいの戦没者の名前をたどって行くと、 兵庫県の戦没者の石碑の前で 「島崎 護(まもる)」という名前を見つけました。 その人こそ、母方の叔父さんです。 戦艦大和の乗組員として勤務中、 4月7日に、鹿児島坊津沖で米軍機の猛攻撃を受けて、 艦は撃沈されます。 当時20歳であった護おじさんも 艦とともに海底へ。 ご存命であれば、今年100歳。 こんな出会いがあった沖縄の旅から帰った後、 戦艦大和に関する本などを たくさん、たくさん読みました。 そこで、 大和が建造された、広島・呉市に 母と出かけ、 「大和ミュージアム」でも、 叔父さんの名前を見つけることができました。 そのときの、母の表情といったら……、 「ああ、あった!! あった!!」 81歳の母も会ったことがない、叔父さん。 (母の父の弟にあたります) 今回の旅で、母は、 遠い昔、自宅の壁に、海軍の制服を着た 叔父さんの写真が飾られていたことを思い出したそうです。 そしてこうも言いました。 「私は父からも叔父さんのことは聞けなかった。 だから、あなたが(私が) 叔父さんのことを思い出してくれなければ、 私は思い出すこともなかったと思う。 戦争の話は、なんとなく『タブー』だった、 そんな空気が流れていた家だったから」 母との旅が終わり、 「戦艦大和の慰霊祭」が毎年4月7日に おこなわれていることを知りました。 大和が沈没した時間、2時23分に黙祷をささげるという 慰霊祭が毎年あったことを、今ごろ知ることになるなんて……。 どうしても、4月7日に行きたいと考えていたのですが 仕事のため叶わず、 「せめてその前日近くに行きたい……」と、 4月3日~5日まで、呉に滞在することができました。 前回の呉の旅で伺うことができなかった場所を 今回は、呉に2泊したこともあり、 じっくり訪問することができました。 ・潜水艦ツアー 日本中で、こんなに近くに潜水艦が見られるのは、 広島の呉だけとお聞きしました。 昔は、アメリカでも身近に見ることができたそうなのですが 「9.11」事件が起きたことで、 バスの停留所に「潜水隊前」という名前があるほど。 そのバス停付近から撮影されている人たちも 大勢いらっしゃいました。 私たちが伺ったときは、 9つの潜水艦を見ることができました。 ・入船山記念館(平成10年 重要文化財指定) 旧呉鎮守府司令長官官舎を中心に、 郷土館、歴史民俗資料館(近世文書館)があり、 呉の歴史に思いを馳せることができます。 建物には、「金唐紙」という特別な壁紙が 使われており、この壁紙が現存する建物としては、 北海道・小樽にある、旧日本郵船小樽支店(重要文化財)と、 広島・呉にある入船山記念館だけと、お聞きしました。 ・長迫公園(旧海軍墓地) 毎年、4月7日にこの場所で、 「戦艦大和」の慰霊祭があることを知ってから、 どうしても伺いたかった場所。 海上自衛隊の旗がたてられており、 「戦艦大和」以外にも たくさんの戦艦や潜水艦で亡くなられた方々の 石碑がありました。 とても手入れが行き届いているところで、 お掃除をなさっておられた男性が 話しかけてくれました。 「4月7日は、ここで慰霊祭がありますよ」 「ここでお亡くなりになられた方々は、 みなさん、『靖国で会おう』とおっしゃって お亡くなりになったのです」 長迫公園(旧海軍墓地)にある 戦艦大和の石碑は、ひときわ大きく、 その石碑のそばにあった戦没者の名前の欄にも、 「島崎 護」さんの名前を見つけました。 前述の男性曰く 私が叔父さんの名前の欄を凝視しているのを ご覧になって 「きれいでしょ? 遺族の方々に指摘されて、 最近、お名前のところをきれいにしたんですよ」。 これまで毎年慰霊祭があったというのに、 まったく知らないでこれまで生きていた私を 「叔父さん、許してください」という気持ちで お参りしました。 ・「歴史の見える丘」 高台になっているその場所。 目の前が「戦艦大和」がつくられた場所。 歴史の見える丘には、 ここにも、「戦艦大和」の記念碑がありました。 ・呉のマンホール。 呉のマンホールだけを撮影している人がいるくらい、 アートなマンホール。 入船山記念館に伺う道のりに ・「鉄のくじら艦」 ここのポストカードが大好きで、 今回もポストカードを買うために入館しました。 ここでは、 海上自衛隊のOBの方々が いろいろの説明をしてくださり、 海上自衛隊がどのようなお仕事をなさっておられるのかが また、実際の潜水艦の中にも入れるので お子様から大人の方まで体験されていました。 ・「福住」のフライケーキ。 以前、広島で開催された文章教室に伺ったとき、 呉に、こんなおいしいお菓子があることを 初めて知りました。 そのときも感動しましたが、今回も。 1個100円。 地元のかたらしき人が10個、20個と 頼んでいたのが印象的。 東京の「揚げまんじゅう」に似ているかな。 ・「エーデルワイス」のクリームパイ。 広島がご実家の栄養士さんからお教えいただいた 呉市民なら知らない人はいないというくらい 有名な洋菓子やさん。 午後には、売り切れになるとのことで、 午前中に伺いました。 クリームパイの下は、 固めのプリンのような生地。 なるほど、これは、やみつきになる。 ・呉冷麺 呉冷麺発祥といわれる、 「珍来軒」でいただきました。 細麺で、麺がツッヤツヤ。ピリ辛。 近くにこのお店があれば、 週1で通いたい。 海軍ゆかりの料亭だった「五月荘」。 前回伺ったときは、定休日だったので 今回やっと伺うことができました。 ここでは、「海軍御膳」をいただきました。 呉発祥の「肉じゃが」や「音戸ちりめん」 季節の釜飯をいただきました。 ・「アレイからすこじま」 海上自衛隊の潜水艦と護衛艦が イカリを下ろしている公園。 旧海軍工廠(こうしょう)のレンガ建造物や 魚雷積載用クレーンなどの歴史的なモニュメントが見られる。 以前、呉に伺ったとき、 多くのかたから 「『アレイからすこじま』には行ったほうがいいよ」 と、おすすめいただいたので 今回、やっといけました。 ・「澎湃館(ほうはいかん)」 旧海軍工廠第一弾薬庫。 いまは、レンガ倉庫のレトロな雰囲気の お土産屋さんになっています。 この「澎湃館」で、 戦艦大和の生き残り9人の方に お話をお聞きしたという、 澎湃館の社長さんのお話をお聞きするイベントがあり、 参加しました。 「戦艦大和」の最期がどんなだったかを、 まるで、生き残りの方から直接お聞きしているような 気持ちになりました。 その方によると、 乗組員の誰もが、大和が「水上特攻」であることを 自覚していたと、おっしゃいます。 私たちがその方のお話をお聞きしたのは、 4月5日の午後2時。 その方はこうおっしゃいます。 「80年前の今ごろ、 戦艦大和を水上特攻させる作戦に、 異議を唱える人が多く、大激論が 上からの命令とあれば、結果的には出撃しなくてはならない。 大和は、「水上特攻」が決まった翌日には出撃。 (通常、命令があった翌日に船が出撃する、 ということはないのだそう) 燃えるものは全部陸にあげてから出撃したそうです。 そして、4月7日、いよいよその日が……。 生き残った方々の証言を その方がまるで乗り移ったかのように お話なさるその姿に、 参加している20数名の方がたから 1時間の予定が 2時間になり……そのイベントが終了しました。 いちばん前で、 頷きながら一生懸命聞いていたからでしょう。 主催者のその方が話しかけてくださいました。 「どちらからいらしてくださったのですか」 「横浜です」 「そんな遠くから!!? 」と驚くその方に、 「母の父の弟が、乗組員だったそうで、 4月7日の慰霊祭には伺えないので きょうお話をお聞きできてよかったです」 「ずっと知らなかったんです。叔父さんのこと。 81歳になる母も……。 母の父が、戦争のことを語ることを嫌ったようで 誰も、おじさんの最期を詳しく知らなかったんです」 「偶然、昨年の沖縄の旅で、 祖母から少しだけ聞いていたエピソードを思い出して、 叔父さんの名前に巡り会うことができたんです」 「だから、やっとここに来ることができました」という私に、 その方は、こうおっしゃいました。 「生き残った方々も、こうおっしゃっていましたよ。 『なんで生きて帰ったのか』と言われるのがつらくて、 ずっと大和の乗組員だったことを言えなかったと」 4月7日は、私は、埼玉県の女子栄養大学で 11時~18時30分まで授業をしていました。 大和の沈没した2時23分。 私は授業を続けながらも、 心の中で、祈っていました。 「おじさん、80年後になってしまったけれど、 おじさんの最期を知ることができてよかったです」 「おじさんの分までいっしょうけんめい生きてゆきますね」 その日のニュースを見ていると、 広島・長迫公園での戦艦大和の慰霊祭、 鹿児島県・枕崎沖にある 戦艦大和の記念碑(米軍からの爆撃をうけたとき、 その様子がもっとも身近に見えた場所)での慰霊祭、 徳之島に建つ、戦艦大和の記念碑の前での慰霊祭の
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by palmarosaK
| 2025-04-10 00:22
| 戦艦大和
![]() 「食ジム」第139回を開催しました。 テーマは、 《料理教室などを「サロン」としての楽しい場にするには、 講師にはどんなアクションが求められるか》 座長は、男性料理教室の講師として20年近く、 キャリアをお持ちの管理栄養士の甲斐和恵さん。 アドバイザーは、大橋禄郎先生と影山が担当しました。 https://rockyroad1.exblog.jp/ 甲斐座長は、 まずは冒頭で「サロン」の定義をご説明くださいました。 サロンとは、『広辞苑』の第7版によると、 ①客間、応接室、応接セット ②上流階級が催す社交的な集まり ③社交界(の人々) ④室、店 ⑤喫茶店、パーラー ⑥定期的な美術展、見本市 ⑦ホテル・客船などの談話室 ⑧美 *ここでいう「サロン」とは、 一定の方向性やテーマのある会話を楽しむ場のこと。 「サロン」とはどのようなものなのかを、 参加者全員がイメージできたのも、 最初にこうした説明をしてくださったから。 今回の「食ジム」は、以下のように進行されました。 1.「街の教室」参加体験。 お茶、お花、お料理、語学、書道、ピアノ 楽器、合唱、そろばん、絵画、その他に 参加したときの記憶に残る、あの場面、 講師の言動、雰囲気など。 2.料理教室(その他)に参加して 「習う・学ぶ」ことのほかに得られた得られたこと、 人との出会い――あれやこれや。 3.料理教室を「サロン」として楽しい場にするための アクションプランをあげてみると……。 1番の項目は参加者全員が発表します。 「街の教室」のようなサロンに 参加されたという教室の一部を記してみました。 ・「A◎Cクッキング」と英会話教室。 ・ゴルフスクール ・バレエ(大人になってから) ・フランス語 ・ヨガスクール ・ピアノ教室 ・お菓子教室 ・そろばん教室 ・パン教室 ・ワイン・チーズセミナー ・着物サークル ・書道教室 ・英会話教室 ご参加の方々が これまで(今も) いろいろのお教室に参加なさっておられたことがわかります。 2番では、こんなご意見も出ました。 栄養士になってから、 趣味のサッカー観戦のために イギリスに行ってみたいと、 知人の英会話スクールの先生に伝えたところ、 「せっかくいくなら、1週間でも留学をしてみたら?」 と、すすめてくれたおかげで、 滞在中、ホームステイを初めて経験することができたという事例。 私自身も、2つ発表しました。 1つは、 レストランが主催する料理教室に参加したとき、 お隣に座った方に問いかけをしたことから その方のお父様が経営される専門学校の講師として 14年間「食コーチング」の講師として担当させていただくという まさか、料理教室のご縁で 自身のライフワークである 「食コーチング」の話に聞き入ってくださる方が いらしたとは……。 料理教室に通うとは、 人と人との出会いにも通じることを実感。 2つめは、 社会人になってから 都内の大学の夜間に開講されている 韓国語講座に通っていたときの事例を お伝えしました。 1996年くらいのことだったので 「冬ソナ」が放映されていたときよりも、 もっと前の時代。 韓国語を学びたいという、 日本人女性が、今より少なかったときだったので、 担当してくださった教授が 「私の勤める大学の学生として留学してみては?」 と、ご提案くださり、 1997年の夏に、 8月の1か月だけ、韓国外国語大学に留学したことを お話ししました。 参加者の1人の方は、 「大人になってバレエスクールに通っています。 最近は忙しいので、なかなか通えていないんです。 でも、1年以上通っていなくても、 たまに参加すると、先生が 『久しぶり~』『ゆっくりでいいのよ』 と、声をかけてくださるんです。 もし、私が3年通っていなかったとしても、 先生は、変わらず、同じことを おっしゃると思います」と、発表されました。 料理教室に限らず、世間にあるいろいろの教室を 「サロン」として楽しい場にするためには、 まずは、主催者としての考えをあらためなくてはいけない……、 とも、強く思います。 つい最近、都内のカフェで開催されている、 普段は、喫茶店として営業しているお店ですが、 平日の2時30分~4時くらいまでの お客が比較的少ない時間に、 「折り紙教室」をはじめ、 「税金教室」や「コンサート会場」 として、いろいろの顔を持つサロンに変身します。 「気がついたら……10年は通っているわ」という、 ご近所の方々が10人はいらっしゃいました。 そこでは、 折り紙の折り方を学ぶだけではなく、 参加者どうしの近況報告や、 子育てのこと、介護のこと、旅のこと、 いろいろのコミュニケーションが 飛び交っています。 「街の教室」は、こうして 人々になくてはならない居場所になっていることを 今回の「食ジム」に参加して改めて感じています。 そして、「サロン」は、 どこかで開業することだけが「サロン」ではなく、 私たちがいる環境がそれぞれの「サロン」になることを 体験できた貴重な機会となりました。 #
by palmarosaK
| 2025-04-06 21:50
| 食ジム
長崎~佐賀の2泊3日の旅から戻りました。 この旅の目的の1つは、 有田焼の老舗・深川製磁さんの 「チャイナ・オン・ザ・パーク」に伺うことでした。 「チャイナ・オン・ザ・パーク」について、 深川製磁さんのホームページには、 こう紹介されています。 「1650年、有田で窯に火を灯した深川家が 1894年に設立した工芸会社です。 1910年には、宮内省御用達を拝命。 上品で洗練された陶磁器は宮家をはじめ このお店の本店は、JR有田駅から徒歩10分の場所。 いつ訪ねても、ここの建物のすばらしさには目を瞠ります。 (深川製磁さんは、2024年に創業130年を迎えられたそうです) 一方、「チャイナ・オン・ザ・パーク」は、 深川さんの歴史に触れることができる プライベートな空間でありながら、 公共の博物館のような佇まい。 東京都内のデパートでは、 まず出会えないような深川さんの器たちの種類と数に、 興奮が高まるばかり。 この夢のような空間に、1日浸っても、 飽きることはないでしょう。 以前、栄養士メンバーとご一緒して以来、 7年ぶり、5回目の訪問。 栄養士仲間と伺ったときには、 長崎のハウステンボスに泊っている私たちのために、 有田から、チャーターバスをご用意くださいました。 しかも、そんなことが2回もありました。 うれしかったのは、 いまも、同じ方に、 20年間変わらず、ご担当いただけること。 有田に行けないときは、 電話1本で、 「お雛様の絵柄がついた食器をいただきたいのですが いま、どういうものがありますか」とか、 「急須を割ってしまったのですが 同じものはありますか」とかとお伝えすれば、 数日後には、横浜のわが家まで届けてくださいます。 プレゼントにさしあげる器も、 お電話1本で、 相談した内容にそって 期待以上のものをお送りくださいます。 20年も、同じ方にご担当いただけることのありがたさ、 すばらしさは、頭ではわかってはいるつもりでも、 お店で、その方のお姿を拝見すると、 うれしさと感謝の気持ちがこみ上げてきます。 食器のよいところは、 それを求めたときの季節、 有田の風景、同行した人たちの顔ぶれ、 そこで交わした会話などなどが、 あたかも、それぞれの器に盛りつけられたかのように、 場所も時間も隔てた、 ここ横浜でよみがえってくることです。 横浜で開催している料理教室「アクションクッキング」では、 深川さんの器のラインナップが増えたことで、 話題も、お料理も、器の鑑賞力も、 いただき方のバリエーションも広がっています。 まさに、「器コミュニケーション」の楽しみです。 「アクションクッキング」と名づけたのは、 教室で定番の料理を学ぶことにとどまらず、 アウェイにも出て、 いろいろのお料理を体験したり、 「有田・深川を巡る旅」を開催したりと、 フットワークをフル活用するため。 さて、今回の九州への旅は、 81歳の母を、長崎のハウステンボスと 有田の深川製磁さんを案内することでした。 母は、40年以上前は、 兵庫県の自宅で、 ご近所の方々にお料理を教えていたり、 お茶会を開催したり、 編み物を教えていたりしていました。 当時、私が学校から帰ると、 知らない人たちが家にいました。 70歳を超えたとき、 家族の事情で上京をして、 いまは、都内に1人暮らしをしています。 あれだけ料理が得意で、 毎日、料理づくりを楽しんでいた母が、 父が他界して以来、 「料理は面倒」と言うようになり、 得意レパートリーだった「マーマレードジャム」も 作らなくなりました。 昔は、自宅の庭になっていたたくさんの甘夏で マーマレードジャムを瓶詰めにして200本以上作って、 ご依頼いただいていた方々に差し上げていました。 母の作ったマーマレードジャムには、 多くのファンがいました。 以前、お知り合いの栄養士さんが 「主人(お医者様)は、こういうものは いっさいいただかないのですが、 このマーマレードジャムは格別。 またいただきたいのですが……」とおっしゃり、 青森県までお届けしたことも。 いまは、「なにもしたくない」という母が、 深川さんのたくさんの器を目にしたとたん、 その器たちを見ながら 「この器で、◎◎をつくっていただいたら おいしそう」とか、 「この湯飲み、ピンク色でかわいい」とか、 「この器、赤がきいているから、 元気が出そう」とかと、 目を輝かせて、吟味して器を選んでいました。 ここに来るまでは、 「もう器はいらないから」と、 かたくなに言い続けていた母が、 明治時代から続く、「深川」さんの器に対面したとたん、 そして、 有田のあちこちに販売されている おみかんの直売所で見かけた大きな甘夏を目にして、 「マーマレードを作りたい」と話す母に、 「久しぶりにお母さんのマーマレードジャムが食べたいな。 この夏みかんだと何個くらいつくれるの?」と聞く娘に、 母は、 「瓶にもよるけれど、10個はとれるかな?」 と、次のアクションを起こし始めました。 作っても、作らなくても、 母の、マーマレードジャムへの想いが復活したことを、 娘としては喜びたいと思います。 この日の母の輝きは、ずっと記憶に残るでしょう。 今回、私自身もたくさんの器を購入しました。 昔も、いまも、これからも、 「器コミュニケーション」を楽しみたいと、 #
by palmarosaK
| 2025-03-24 23:50
| ハウステンボス
![]() 《栄養士のためのランニングセミナー》を開催しました。 (主催 パルマローザ 講師 安喰太郎先生) 安喰太郎先生は、 都内で《Harriers》というランニングチームを 率いておられます。 そのチームに所属されていた知人の栄養士さんの紹介で、 2010年8月から、いまもご指導いただいています。 それまで、私を含めた栄養士仲間の中には、 「運動は、得意ではない」と 思っていた人も少なからずいらしたはず。 安喰先生にご指導いただくようになってからは、 「走るって楽しい!! 」とおっしゃる方がふえました。 「自宅近辺を、毎日走るようになった」、 「スポーツクラブに入ることを決意した」、 「マラソン大会に参加するまでになった」 「ホテルを選ぶときは、ジムがあるホテルを選んでいる」 遠方から横浜に研修のために参加なさる方の中には、 ランニングウェアを、 どこにいくにも、「持参する」という方まで現れました。 私たちに「走る」という楽しさを教えていただいたおかげです。 さて、久しぶりの「ランニングセミナー」で 安喰先生は、ご自身の活動の幅を広げておられることを ご紹介くださいました。 最近は、中学生の子どもたちに、 部活(陸上)のサポートをしておられるとのこと。 そして、先生は、 「もっと子どもたちに寄り添った指導ができれば」 とお考えになって、教員免許を取得するために、 再び大学でのお勉強もスタートされたそうです。 お目にかかるたびに、 つねに新しいことにチャレンジされる先生のお姿は、 参加者全員の刺激になります。 今回も、 走る前の準備体操として1時間以上 じっくりご指導いただきました。 参加者の中には、 「こんなにじっくり事前準備をしないまま 走っていたから、体を悪くしたんですね……」 と、おっしゃる方も。 トレーニングルームでの準備体操が終わったら、 一同、山下公園までゆっくりランニング。 1人1人の走る姿勢を動画に撮って、 プロの先生にご指導いただけるので、 みんなのモチベーションが上がる瞬間です。 動画を再生しつつ、先生は、 「こうすればもっとよくなります」 などとアドバイスしてくださいます。 そのご指摘で、またモチベーションが高まります。 「前傾姿勢で走るフォーム、実践されていますね」 「足全体で接地しているので、安定感がありますね」 「腕を後ろにもっとひいてみてください。 そうそう、そんなふうに」 「普段、運動をなさっておられるから、 体幹がしっかりした走りなんですね」 ご指摘いただいたご本人も、みなさんも アドバイスを聞いていて、 なぜかハッピーな気持ちになります。 それが、あしたからのモチベーションにつながるからでしょう。 今回も、その瞬間に立ち会わせていただいた気持ちになりました。 安喰先生が、教員免許を取得なさるために、 大学で学ばれているというお話をうかがって、 わが身を振り返っていました。 昨年夏から、 横浜の小学校で、子どもたちの放課後支援の お手伝いをしています。 以前、仕事先でお知り合いになった方から 「影山先生、家庭科の教員免許を持っているの? え? 持っているのにそのままに……? もったいないですよ。活かさなきゃ」と ご指摘をいただいたことが、 「いつか、学校でも働けたら」 と、考えるきっかけになりました。 大勢の子どもたちと一緒することで 子どもたちから、 たくさん教えてもらっていることにも気がつきます。 毎日が初めてのことばかりで、 ご一緒している先生方に、 いろいろお尋ねしながら 与えられた役割を担当しています。 子どもたちとの会話で気をつけていることは、 会話の中に、子どもたちの名前を入れること。 そして、子どもたちの「夢」を聞くことも。 「◎◎さんは、ドッチボールがじょうずよね。 どこかで習っていたの?」 「◎◎さんは、大きくなったら何になりたいの?」 子どもたちは、うれしそうに語ってくれます。 「ユーチューバー!! 大好きなユーチューバーがいるんだけれど、 そんな人になってみたい」 「総理大臣!! 」 「ホテルのコンシェルジュ!!」 「ケーキづくりが好きだから、パティシェ」 「アイドルと保育士」 「サッカー選手」 「電車の運転手さん」 「パイロット!! 」 「ママがね、『女性もパイロットになれる』って言ってたから」 「わかんないよ~」(そう言いながらもうれしそう) 学校では、 「『問いかけ』が、子どもたちの自発性や、 新たな可能性を広げるきっかけになる」 ことを忘れずに活動しています。 「将来はユーチューバーになりたい」と、 こっそり耳打ちしてくれたAクンは、 お話がおもしろく、 大人の私もついついAクンの話に聞き入ってしまう。 みんなを笑わせたりする一方、 学年が下の子どもたちにもやさしいAクンは、 クラスの人気者。 「アイドルと保育士」と話してくれるのは 小学校1年生のBちゃん。 「なぜアイドルと保育士なの?」 と尋ねる私に、 その理由をからだいっぱいの ゼスチャーをつかって教えてくれます。 「そうなんだ~。 Bちゃんならどっちもなれるね~。 お友達思いのBちゃんは、 みんなから頼られているし、 かわいいしね♬ いまのうちから、サインもらっておいたほうがいい?」 という私に、うれしそう。 Cちゃんは、帰り際にかならず 「なお子先生、今度いつ来る?」 と、問いかけてくれます。 学校のお仕事がスタートして、 慣れない私を見かねたのでしょう。 「はい、お手紙」と、 あるときCちゃんがお手紙をくれました。 開けてみると、 「先生、学校、慣れましたか? お友だちはできましたか?」と 気遣ってくれる内容でした。 とまどっている表情を察知してくれたのでしょう。 本来なら、 私がそのような声がけをしなくてはならないのに、 子どもたちは、ちゃんと大人を見ているんだ、 子どもたちに私のほうが救われていたんだ……と そのときも、いまも思うことがしばしばあります。 冒頭の安喰先生も、 現場でのご指導がきっかけとなり、 「教員免許を取得しよう」ということになった経緯は よくわかります。 現場を見ることで、 想像もしなかった現実が目の前にある……。 それでも、 コミュニケーション力は、 どこにいっても磨き続ける必要があることを あらためて実感しています。 ランニングセミナーからも、 コミュニケーションのバリエーションを学べる、 地球上、10センチ動けば 時間が、10秒経てば、 そこには新たなコミュニケーションが生まれる。 ますます学びの場が広がる……。 晴天の下、
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by palmarosaK
| 2025-03-10 22:41
| マラソンセミナー
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