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![]() 「食ジム」第145回を開催しました。 テーマは、 《栄養士が「行きつけの飲食店」を持つことの意味と お店の選び方》。 主催 食コーチングプログラムス 座長は、岩田博美さん。 アドバイザーは、大橋禄郎先生 会場 大佛(おさらぎ)次郎記念会館 時間 11時~18時 1.人に連れられて行った飲食店の中で、 「ここはステキ」と思ったところといえば……その理由。 (複数可。いま、そのお店は?) 2.私が1人で行ったり、人を連れて行ったりする、 お気に入りの飲食店、大公開♬ ――その理由、場所、料理、スタッフ、接客、雰囲気 インテリア、BGM、客層、その他……。 3.栄養士が「行きつけの飲食店」を持つことに、 どんな意味があるのか。 4.「さすが栄養士! 」といわれるような飲食店の選び方のコツ、 その秘策と、要注意事項を考える。 進行プロットの「1」の項目では、 ある方が、 食通だった義父と義母の行きつけのお店だっという 岐阜のレストラン「ハーモニー」をご紹介くださいました。 東京から岐阜まで1年に1回は通っているという そのレストランに、 嫁ぎ先の家族とともに、 結婚してから今も10年以上通っているそう。 食通だった義理のお父様が、 わざわざ東京から岐阜まで足を運ぶ理由が、 家族も、納得するくらいおいしいのだとか。 お料理は、シェフの「おまかせ料理」のみ。 親子で経営されているという森の中に佇む 木の温もりが感じられるそのレストラン。 お父様が故人となった今も、 義母、夫そして、子どももいっしょに 通い続けておられるとか。 その他、複数の方があげておられたのが 「横浜 うかい亭」。 結婚50周年に、子どもたち家族全員が お祝いの食事会を開いてくれたと、おっしゃった方。 何かのイベントのときには、「ここを使う」と、 おっしゃった方。 「鉄板料理は、今までいただいた中で、ここのお料理がいちばん好き」 などなどのご発言が。 「横浜 うかい亭」の外観は、 明治時代のオランダ貿易商の迎賓館をイメージして 造られたそうで、 お食事だけではなく、 「うかい亭」の入り口から中に入るまですべてが 「おいしさ」につながっていることを再認識させられました。 今から15年ほど前、 四ッ谷にあったフレンチの名店 「オテル・ドゥ・ミクニ」でセミナーを開催したときに、 三國シェフが、おっしゃったことを思い出しました。 「僕の店は、駅から遠い場所にあるけれど、 駅からこの店にいらっしゃる道のりまでもが 『前菜』だと考えているのです。 その『前菜』である風景を味わいながら、 ここまでいらしていただきたいと……」 そのとき同席しておられた栄養士さんたち全員が 三國シェフのこのセリフにノックアウトされたことでしょう。 その他、 たくさんのお店がみなさんからあがりました。 そのとき、大橋先生が 「ちょっと待って。ここは、もちろん『お店』ではあるけれど、 お店の紹介がメインではなく、 どなたに連れて行っていただいたかが大事。 その人がどんな人だったか、その人との関係性とか……」 参加者全員が、 ご自身の思い出のお店のエピソードを ご披露くださいました。 なかには、 ご披露いただいている途中で、 涙ぐむ方も……。 「築地で店を持っていた姉の夫が、 姉の妹である私が訪ねると、 いつも東銀座や銀座のお店で 食事をごちそうしてくれたんです。 天ぷら、オムライスのお店で……。 いまでも、その近くを通ると、 思わず、どこかの扉からお兄さんが出てくるような気がして……。 亡くなったずいぶん経ちますが……」 「食ジム」が終わった後、 その方は、私にメールで 「感極まって、ウルウルしてしまいました。 それも、『食ジム』の魅力なのでしょうか。 影山先生の目を見ていたら、いろいろのことを 言いたくなってしまいました」と連絡してくださいました。 まさに、「食ジム」は 座長の「問いかけ」に瞬時に過去にワープして、 いろいろのシーンを思いだし、それをコトバにして カタチにできる場所。 そのときは思い出せなかったとしても、 参加者たちがお話ししているそばから 「私も思い出しました」とおっしゃる方も。 2番の項目では、 私たちが1人で行く、行きつけのお店や 誰かを連れて行ったりするお店なども 発表しあいました。 うれしかったのは、 「栄養士だから外食はしないんです。 だから、そういうお店は知りません」 と、おっしゃる方は、いらっしゃらないこと。 外食は、栄養補給のために行く、 ということだけではなく、 同僚や知人友人、家族との 安らぎや情報の補給の場であり、 新しい「食」の発見の場であり、 同席している人たちとの懇親の場でもあります。 先日、栄養士のお仲間でご一緒した、 「奈良~京都の旅」で、ランチをした 京都の《長楽館》をあげられた方がいました。 「また行きたいと思わせてくれるお料理の数々。 私たちを含め3組の方々で ゆったりとした空間でいただけるフレンチのお料理。 スタッフのお声がけから始まり、 思いもかけなかったサプライズまで、 最後の最後まで感激し通しでした。 今度は、宿泊を兼ねてゆっくり伺いたい」と。 外食を温かい目でご覧になっているだけではなく、 ご自身も「外食を楽しんでいる栄養士」として、 ご披露されていたのが印象に残りました。 そのお店がいまは、なくなっているとしても、 なぜ、そのお店が行きつけだったのか、 なぜ、そのお店を人に紹介したくなるのかなどは、 一般的に栄養士の多くがおっしゃる 「野菜が多く食べられるから」「ヘルシーだから」 という理由ではありません。 いつ行っても、 店主があたたかく対応してくれたり、 連れにまでやさしく話しかけてくれたり……といった 居心地のよい雰囲気づくりが、 「また来たい」と思わせてくれるのだと 改めて思います。 昔とちがって今は、SNSでお店選びが簡単になりました。 しかし、不特定多数の人が「イイネ」という店が 果たして、自分にとって居心地がよいかは別もの。 アドバイザーの大橋先生は、 「ネットでよい評判だった」という人が 紹介する店は、「そうでもないことが多い」と指摘されます。 「自分の足で歩き、直感で『ここイイかも』と 思って入った店は、ほとんど失敗がない」 と、おっしゃいます。 二次情報は、あくまでも二次情報。 自分の足で歩き、そこに通い、お店の方々と 信頼関係ができた店は、その人にとっては「名店」であり、 その人の紹介があるとさらに「おいしさ」が倍増することも、 私たちは日常的に体験しています。 「さすが、栄養士!! 」とよばれる飲食店の選び方のコツ、 その秘策と、注意事項は、 「食事情に詳しい達人」と同行する機会をたくさんつくること。 そして、注意事項の一例として、 栄養士にありがちな、 「野菜たっぷりのメニューが多いお店ですよ」 「低カロリーのメニューが多いお店ですよ」 「旬の野菜やくだものが多いお店ですよ」 「油を使った料理をほとんど使わないお店ですよ」 などという常套文句は使わないこと。 「じゃあ、どうすればいいの?」 そう疑問に思った方は、 ぜひ、「食ジム」にいらしてください。 いつからでも、歓迎します。
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by palmarosaK
| 2025-10-15 23:55
| 食ジム
2025年9月20日(土)~23日(火)まで、 非営利栄養士ネットワーク《パルマローザ》の メンバーと、 奈良~京都への3泊4日の旅をしました。 この旅に続いて、 2025年10月1日(水)~6日(月)は、 恒例の沖縄合宿(!!?) 昨年は、台風で、慶良間諸島までの フェリー便が欠航となったため、 今回は、2年ぶりに、座間味島に 行くことができました。 (この旅については次回に) 今回は、奈良から京都への旅の想い出を 振り返ってみます。 9月20日(土)は、 奈良県栄養士会主催の研修会に 参加させていただきました。 講師は、大橋禄郎先生。 テーマは、 《健康や食生活をもっと魅力的に語るには、 文章力をこんなふうに磨こう》。 (時間 14時30分~16時30分 会場 帝塚山大学) イントロクエスチョンからスタートした先生の2時間のご講義は、 対面ならではのご講義で、 笑いあり、大きな頷きありの、 とても有意義な1時間40分でした。 ホームグラウンドである横浜でお聞きするのと、 アウェイの場所で拝聴するのとでは、 先生のお話の内容がとても新鮮に聞こえるのです。 初めての参加者が多い会場では、 いつも以上に、1つ1つ、 ていねいにじっくりとお話を進められる先生のご講義は、 「私も、先生のような名講義をおこないたい」 と、思わせてくれる貴重な場。 参加者の方の中には、 昨年7月、影山が、奈良県栄養士会の研修会で お話しさせていただいたときにも参加くださった方が いらっしゃったりして、1年ぶりの再会を楽しみました。 大橋先生のご講義が終盤に入り、 1人の栄養士さんが質問をなさいました。 「先生が『栄養と料理』の編集長時代、 とてもユニークな記事を展開されていたと 記憶しています。 先生は、どのようにして、 それらのテーマや人を探されるのでしょうか」 このご質問に対して、 大橋先生は、 「栄養士さんがそういうご質問をなさるとは……いいですねぇ。 すごく深いご質問ですね」と、 おっしゃっていたのが印象的。 その栄養士さんがご質問なさった意図には、 たとえば、以下のような 当時の雑誌の方針をお知りになりたいと 思ったのではないでしょうか。 「『栄養と料理』という雑誌は、見たとおり、 栄養と料理に関する雑誌。 だから、食や健康、栄養、料理が 中心になるのは当然としても、 大橋編集長時代には、 想定外の話題が、しばしば取り上げられた。 当時、社会問題になりつつあった、 「摂食障害」に関する継続的な記事、 「主婦にとって男友だちとは」という、 いわば女性のライフスタイルに関する記事、 そして、国際女子マラソンをはじめ、 各種スポーツと食生活に関する……などなど。 それらの企画は、どうして生まれたのでしょうか」 確か、大橋先生の編集長時代には、 『栄養と料理』の表紙も、 当時、大活躍だった写真家(三好和義氏)、 デザイナー(亀海 昌次氏/かめがい)や 執筆面では、作家(畑 正憲氏/ムツゴロウ)にも ご依頼なさったというお話もお聞きしました。 だからこそ、先生の手がけられた『栄養と料理』は、 現に、いまもこうして 人々の心に残っているのだ……と、感じ入りました。 愛読者の1人としては、 そのようなスタイルの雑誌がいまもあったとすれば、 読者1人1人の教養の幅が広がり、 それによって、専門知識以外の人生の視野まで 広く、深くすることができたのでは……と、 思ったりしました。 奈良県でのご講演の翌日は、 私たちは、京都の高島屋に急ぎました。 この日(9月21日(日)は、 絵師・木村英輝氏(キーヤン)のイベントに参加するため。 《長楽館》のクジャクの壁画や、 《青蓮院》のふすま絵のすばらしさに感激して以来、 キーヤンの作品をちょくちょく購入しています。 京都の店舗では、食器やのれん、クッションカバー、布……。 横浜中華街のセレクトショップでは、 エコバッグやガマグチを……。 この日のために、 昨年、京都のキーヤンスタジオ(ショップ)で 購入した布で、知人に作っていただき、 これを着て、キーヤンイベントに参加しました。 このとき、最前列にいた2人の女性に、 声をかけていただきました。 「ステキなワンピースね。よく似合っておられるわ」 「みなさん、どちらから? お揃いのお帽子がかわいい」 「みなさんは、何をなさっておられる方なの?」 1人の女性は、 キーヤン(ご本人は呼び捨て希望)の奥様。 もう1人の女性は、産経新聞の記者で、 「キーヤンを追っかけて(取材)5年になるんですよ。 へ~!! 横浜からいらしたの? 私、以前は、横浜・元町に住んでいたのですよ。 いまは、転勤で京都に……。 ここは暑いです。元町が懐しい。 元町は、海が近いから涼しいですよね?」 まさか声をかけていただいたのが キーヤンの奥様だったとは!! そして、横浜・元町に住んでおられたという、 記者の女性とも、 横浜つながりのご縁で、お話が弾みました。 この日参加した全員に、 シルクスクリーンのTシャツをプレゼントしていただきました。 (目の前でスタッフが、つくってくださいます) ずっと憧れていた、ナマのキーヤンにお目にかかれたこと、 キーヤンと写真を撮れたこと、 そして、まさか、キーヤンと お話をさせていただけたことに感激した1日でした。 翌日は、 昨年12月に、国の重要文化財に指定された 円山公園に隣接する《長楽館》でランチをいただきました。 15年ほど前に、この前を通ったとき、 一度、カフェに立ち寄ったことがあります。 そのとき、 「こんなステキな建物がホテルだなんて。 今度は泊ってみたい」と思い、 それから何度か宿泊しています。 最後に泊ったのは、2021年3月。 (関東はコロナ禍で大騒ぎ。 京都も、私たちが泊った翌日から 円山公園のしだれ桜のライトアップが中止になり、翌月から ホテルも休館になったことを知りました) ランチタイムは、 私たちを含め、2~3組。 席と席との間隔がとても広く、 これで「満席」とするお店のホスピタリティを感じました。 「食」関係者として、 いろいろのホテルの「食」をいただくのも 私たち栄養士のお仕事。 ランチタイムに、 3時間近くかけてゆったりとした気持ちでいただきました。 最終日は、40年ぶり(!! ) に、 国宝の「三十三間堂」に行きました。 大学受験した、女子大がこの近くにあり、 「私が京都の女子大生になったら、 毎日のように、この前を通るんだなぁ」と、 思いながら、受験したことを思い出したりもしました。 「三十三間堂」は、私たちが拝観した前日に、 タモリさんの『ブラタモリ』で「三十三間堂」が 放送されていたこともあって、 大勢の観光客と修学旅行生で賑わっていました。 その後は、私たち一行は清水寺へ……。 清水坂は、人、人、人で身動きができないほど。 それでもその先に清水寺が見えると、うれしい。 帰りの新幹線の時間が迫っていることもあって、 3泊4日の奈良から京都の旅は、 ここで、京都の「終わり」となりました。 大勢で出かける旅が 「苦手」な方もいらっしゃるかもしれません。 が、私たち栄養士のお仲間は、みなさん、全員が旅名人。 3人部屋、4人部屋であっても、 「ストレスフリー」とおっしゃる方がほとんど。 その理由の1つには、若い頃からのご経験。 登山が趣味で、集団で寝泊まりすることは通常のこと。 バレーボールが趣味という栄養士さんは、 以前から遠征で各地にお出かけになり、 お仲間と同室の「旅」のキャリア。 そうした経験を持つ方は、 旅をご一緒していても、 「ぜんぜん、疲れませんよ」 「ぐっすり眠れます」と、おっしゃって 聞いている私たちまでさわやかな気持ちに……。 10月1日からの「沖縄」5泊6日の旅は、 また、後日、このブログでご紹介させていただきます。
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by palmarosaK
| 2025-10-08 02:31
| ぶらパルマ
![]() イタリアに出かけていました。 フィレンツェ3泊、ベネチア4泊、 計7泊9日間の旅を楽しみました。 10年ぶりのイタリアは、平均気温26℃。 からっとしたさわやかな空気が快適でした。 羽田からローマ空港までのフライトタイム 14時間45分の機内で熟読した本の感想を ここに記録しておきたいと思います。 旅に出る前から購入していたものの、 分厚い本ゆえ、まだ全部読めておらず、 「長時間機内にいるこのときにこそ!! 」 と、機内に持ち込んだ本は、以下の2冊。 ★『大統領に告ぐ』 ――硫黄島(いおうじま)からルーズベルトに与ふる書―― (著書 門田隆将 産経新聞出版) ★『月刊 Will』9月号 《戦後80年特集 「米大統領に告ぐ!! 日本の言い分」他》 (ワック株式会社) 『大統領に告ぐ』は、 恩師からすすめていただいたご本。 硫黄島での戦いは、 陸軍中将の"栗林忠道”中将のエピソードが有名ですが、 (*栗林中将は、硫黄島の最高指揮官。 アメリカ軍から、もっとも手強い敵と評された軍人。 のちにハリウッド映画『硫黄島からの手紙』にもなった) 『大統領に告ぐ』では、 海軍の市丸利之助少将と、 ハワイ出身の日系二世で20歳の兵士の青年に 焦点が当てられています。 市丸利之助少将、三上兵曹という人物が どんな人物だったのか、 どこで、何をしていた人なのかが この本を通して、 「硫黄島での戦い」が立体的に見えてきました。 市丸少将は、 俳句や短歌を嗜む「歌人」としての一面もあった方。 与謝野鉄幹・晶子夫妻が注力されたことで 知られる歌誌『冬柏(とうはく)』にも 歌を寄せられたそうです。 硫黄島に着任するまでは……。 硫黄島では、小笠原兵団長・栗林陸軍中将の下、 陸軍1万8千人。 海軍トップの市丸利之助少将の下、 海軍およそ3千人。総兵力2万1千人。 対して、米軍の上陸部隊は、 述べ、11万1千人!!! 米軍の砲撃の凄まじさは、 「『1分間』のインターバルもない連続砲撃で、 『島の地形が変わる』と言われるほどのものだった」と、 語り継がれています。 ご本を読んで、 初めて、市丸少将が アメリカのルーズベルト大統領宛に 「ルーズベルトに与ふる書」という手紙を、 激戦地で玉砕が迫る中で、 相手国・アメリカの大統領に対して 「一通の手紙をしたためた」ことを知りました。 著者・門田氏は、 「自らの生を終えるとき、相手の国のトップ、 すなわち大統領に『手紙を出す』という発想は、 そもそもどこから生まれたのだろうか」と述べておられる。 「しかも、自分がいる場所は、太陽の光も届かない硫黄島の 地下壕の中である」 「そして硫黄の匂いが充満する高温の洞窟で、 ろうそくの火をたよりに若き日系二世の二等兵曹が その手紙を英語に翻訳し、その『英文』と『和文』を 託された参謀が『自らの肉体が滅びることを前提に』 手紙を『アメリカ側に届けた』という話を知ったら、 どう思われるどうか」 当時、アメリカ軍は、徹底した情報収集を展開していた。 遺体のふところに、日本軍の命令書や暗号書を 隠し持っているすべてのものを「収集」していることを 海軍の幹部たちは知っていたため、 「腹に巻いておけば、必ず敵に渡る」と考えていたのでは ないかと、門田氏は著書の中で述べておられます。 「日米の太平洋戦線での最大の激戦となった硫黄島の戦いで 生まれたこの『奇跡の物語』は、日本では残念ながら 知る人が少ない。むしろ、アメリカでのほうが有名だ」 (以上、すべて門田氏著書『大統領に告ぐ』から引用) しかも、その手紙は、アメリカのメリーランド州の州都・ アナポリスの海軍士官学校の資料庫に、 いまも大切に保管されているそうです。 市丸少将の手紙の趣旨を、門田氏は著書では 少将の旧字を以下のように意訳してくれています。 「日本がペリー提督の下田入港を機として、 世界と広く国交を結ぶようになって約100年、 この間、日本国の歩みは難儀を極め、 自らが望んでいるわけでもないのに、 日清、日露、第一世界大戦、満州事変、 支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至った」 「これについてはあなた方は、 日本人は好戦的であるとか、こうれは黄禍だと貶め、 あるいは日本の軍閥の専断などであるとしている。 だが、それは、想いもかけない的外れなものといわざるを得ない」 「あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一の宣伝材料と している。だが、日本が自滅から逃れるため、 このような戦争を始めるところまで追い詰められた事情は、 あなた自身が最もよく知っているところだと思う」 (中略) 「あなた方のすることを見れば、白人、とくに、 アングロサクソンによって世界の利益を独り占めしようとし、 有色人種をもって、その野望の前に奴隷化しようとするものに ほかならない。 そのためにあなた方は、奸策をもって有色人種をだまし、 いわゆる『悪意ある善政』によって彼らから考える力を奪い、 無力化しようとしてきた」 「近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、 有色人種、ことに東洋民族をして、あなた方の束縛から 開放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解 しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、 かつては、友邦であったはずの日本人を野蛮として 公然と日本人種の絶滅を口にするようになった。 それは、あなた方の神の意向に叶うものなのか?」 日本語で厳しく指摘している原書を、 ハワイ日系2世の三上兵曹が英文に翻訳。 門田氏は、この英文を「すばらしい翻訳」だと指摘されます。 市丸少将が書いた原文である、 「奴隷化」というコトバを使っている箇所を 三上兵曹は、 アメリカ人が「反発」するであろうと考え、 「犠牲」というコトバに変えるなど、 最後まで一挙に読み進めてもらうための工夫を あちこちにちりばめたといいいます。 市丸少将のこの「書」は、 従軍記者のエメット・クロージャー(当時52歳) によって発見され、 当時大スクープになったとも。 しかし、この記事、 アメリカでは海軍の検閲を受け、 およそ3か月間差し止められたとか。 なぜなら、 アメリカの”戦争の大義”を 根底からひっくり返す内容であると思われたから。 だからこそ、 『ルーズベルトに与ふる書』が、即、 新聞紙面に掲載されるのをアメリカ側は恐れたのだろうかと、 門田氏は指摘されています。 日本は、好んで戦争をしたわけではない。 日本は、領土を拡張しようと思って戦争したわけではない。 アメリカ諸国の、アングロサクソン主義が、 日本をはじめとする有色人種を「下」に見て さまざまな妨害をしてきた……。 そのため、日本はやむを得ずに戦うこととなった……。 この事実に、驚きました。 今回、門田氏の著書では、 今まで知られることがなかった市丸少将、 そして、20歳7か月で戦死した 日経二世の三上兵曹がどんな青年だったのか、 その生い立ちから家庭・教育環境まで 知ることができました。 門田氏は、三上兵曹の生家があったハワイにまで 足を運んで取材をしています。 そこで彼のお墓にたどり着きます。 しかし、その墓には骨は入っていない……。 三上兵曹の父・六一郎は、 広島県大竹市の出身で、 兄弟を養うため、10歳で北海道、 その後、ハワイに渡った。 三上兵曹は、六一郎の長男。兄弟は8人。 門田氏は、2025年2月に、 三上兵曹の末の妹"節子”(85歳)にハワイで会っています。 三上兵曹は、とても優秀な子どもだったようで、 現地の学校が終わった後に、 当時日系1世の子どもたちが通っていた日本語学校の校長先生が 「ここにいてはもったいない。 日本にどうしても連れて帰りたい」と、 両親を説得して15歳で日本に渡ったそうです。 その後、広島の旧制の崇徳中学校に進み、 卒業を待たずに海軍に入隊し、 アメリカ側の情報を日本語で通訳するという 「通信諜報員」の1人として活躍。 英語も日本語も堪能な人材は、 当時の陸軍、海軍でも貴重だったといいます。 いよいよ、戦局が最終局面となったとき、 市丸少将は、 「(中略)襲来する敵に立ち向かうわが軍の矢弾は、 もう尽きた。(中略) 日本の存亡は眼前に迫っている。 諸子はよく自己を見つめ、七生報国、 100年後の日本民族のために殉ずることを切望する」 最後の 「100年後の日本民族のために……」という一文は、 戦後80年後の私たちに「問いかけ」られているような 気持ちになりました。 80年前、日本の民族のために 命をかけて戦った人たちのおかげで、 今の日本がある。 先人たちが命をかけて戦った歴史の1つ1つを、 もっと知りたい……と、強く思いました。 80年前、自身の「死」を前提に、 敵国の大統領に、手紙を書いた、市丸利之助少将と ハワイ生まれの日系2世・三上兵曹、 そして、この手紙を英文、和文とを腹に巻きつけて 戦死した人たちがいたからこそ、 この手紙が日の目を見たのだと考えると 涙がとまらなくて……困りました。 14時間45分の片道フライトタイムは、 機内食の時間をのぞき、 ずっと、この本を熟読していました。 まわりは、 映画を観たり、音楽を聴いたり、 薄暗い機内の中で、読書灯で この1冊を読み終えた自分を 褒めてあげたいと思います。 戦後、80年後の日本で この本に出会えたことに感謝したと同時に、 著者の門田隆将氏に、 「この本を出してくださったことに感謝」の 気持ちでいっぱいになりました。 到着したイタリア・フィレンツェ空港までは、 ローマ空港から国内線に乗り換えて1時間。 深夜に到着した空港からホテルに向かうタクシーの中で カメラを忘れたことに気がつき、 車内でいただいていた領収書をもとに、 電話をしたら、すぐにそのタクシーの運転手が 戻ってきてくれてカメラを取り戻すことができました。 日本だけではなく、 イタリアでも忘れものが戻ってきた!!
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by palmarosaK
| 2025-09-17 03:10
| 『大統領に告ぐ』
2025年8月23日(土)、 「食ジム」第143回を開催しました。 (主催 食コーチングプログラムス) テーマは、 「やっぱり違う」と言われる、 栄養士・健康支援者の旅――この視点、この語り。 座長は、久しぶりに、影山が担当しました。 アドバイザーは、大橋禄郎先生。 以下の項目で1日、進行しました。 1.わが人生で、もっとも印象に残る「旅」といえば……。 (文化、食、ライフスタイル、身だしなみ……など) 2.旅先で再認識――「やっぱり日本って、いいところだなぁ」 3.私の「旅」の流儀、大公開――旅に出る前、旅先、旅の後……。 4.栄養士、健康支援者の「らしい」視点、「らしい」報告とは。 1番の項目では、 参加者全員の発表から……。 「家族以外の人たちと出かけた旅が 印象に残っている」と、 おっしゃる方が少なくありません。 それらの旅の行き先は……、 ハワイ、長崎(ハウステンボスほか)、スペイン アメリカ・グランドキャニオン、ラスベガス、 スペイン・バルセロナ、佐賀県・有田、 イギリス・ロンドン、エジプト、アラスカ、沖縄……。 それでも、 「家族との旅が印象に残っている」と、 おっしゃる方もいらっしゃいました。 自身が出場するスポーツ試合の応援のため、 家族とともに遠征した秋田へ。 もうお1人は、新婚旅行で行ったカナダ、 そして、家族全員で旅をした、シンガポール。 私は、4泊5日で行った 「中国・大連」の旅をあげました。 1989年、ANAが「大連」に就航した記念に ANAが企画した「ANA内定者対象のツアー」に、 当時、中国の方々の服装は人民服。 大連の街の風景は、どこか、セピア色を帯びていました。 印象に残っているのは、 ガイドさんのおすすめで、 有名な公園に、バスで連れていっていただいたときのこと。 見物後、時間内にバスに戻ったら、 待っているはずのバスが、出発してしまっていました。 日本では考えられないことが、実際にあったのです。 異国の、初めての場所での置いてきぼり。 通りすがりの方に「迷子」という字を書いて尋ねたら、 その方が、どこかにお電話をしてくださったあと、 徒歩で、あるレストランに連れていってくれました。 その方は、日本人の観光客が、 次にどこに行くかなは、ある程度予想ができたのでしょう。 驚いたのは、 2人の日本人を置き去りにした 現地の女性ガイドさんの何気ない対応。 日本人ガイドだったら、 「ああ、よかった!! 」と叫ぶなり、 「ゴメンナサイ」と頭を下げるなるするところですが、 そのガイドさんは、 もともと点呼などしないで、 「出発進行」を運転手に告げたのでしょう。 この切ないお国事情の違いを、 母子でしっかり体験しました。 さて、 みなさまのご意見を伺っていると、 ある程度、大人になってからの「旅」を 発表されていたことに気がつきました。 ある方は、こうおっしゃっていました。 「10年前は、転職を考えたときでした。 転職のことで頭がいっぱいになって 旅どころではない……というのが正直な感想でした。 ところが、パルマローザで『ハワイに行こう』 となったとき、主催者の影山さんが、 『こんなチャンス、きっと今後もないはずだから、 ぜひ、ご一緒に』って勧めてくれたのです。 あのとき、行っておいてよかった……と、 ココロから感謝しています。 旅は、休めるときに行くのではなく、 旅は、「あらかじめ予定して(休みをとるとかして) 行くものなのだ」と、実感したんです」 ある方は、こうもおっしゃっていました。 「私にとって、『テーマがある旅』というのが初めてでした。 器を楽しむために、窯元に行く、 アジア最大のバラを楽しむために、ハウステンボスに行く、 などなど。テーマが先にあることで、 その旅が、何倍も、奥行きを感じさせてくれるのだと、 そう確信したんです」 楽しかった旅の記憶が、よみがえるのでしょう。 みなさまの「旅」の話は、 それぞれの方のエピソードと重なり、 おおいに盛り上がりました。 次の「やっぱり日本っていいなぁ」という項目では、 「日本は治安がよい」 「食べ物がおいしくて安い」 残念ながら、昨今、 凶悪な事件も発生していますが、 それでも、 「日本では、なくした手荷物が 戻ってくることが多い」とか、 「帰宅が遅くなったときでも、 女性が1人で歩けるのは 他国で普通ではないことだと思う」 「個人商店でも、デパートでも、 ぼったくりに遭うことは、めったにない」 などは、どなたがお聞きになっても 「そうよね」と納得されるでしょう。 その他、 「電車やバスがほぼ時刻どおりに来る」 「お手洗いがどこに行っても清掃が行き届いている」 「外食のバリエーションが豊富」 「国民皆保険」というシステム……などなども。 「高齢になっても(定年以降)、 働ける職場が多くある」なども、 昨今の「人生100年時代」ならではの日本の特徴でしょう。 私が現在、関わっている職場(飲食)は、 調理師さんの最高齢は85歳。 女性の平均年齢も、推定70歳。 まだまだ「余力がある」シニアがたくさん!! 3項目目の「私の流儀」では、 この「食ジム」のアドバイザーを 務めてくださっている大橋先生のブログ 「ロッキーロード」を ご参照いただけたら幸いです。 私は……、 どのような規模の旅でも、 旅先に「お土産」をたくさん持参して伺うようにしています。 外国であれば、日本ならではのお土産、 旅先でお目にかかるであろう方々がお気に召しそうなもの などを、ピックアップしてから旅に出かけます。 これも、 「旅」の達人たちから実際に見聞きしたことで 私の「旅」の流儀になっているように思います。 また、旅の最後は、 写真を焼き増ししてさしあげたり、 アルバムを自分のためにつくったりしていました。 ここ10年前からは、 アルバムから「フォトブック」に変わり、 旅をご一緒した方からもリクエストをいただくので、 「全員同じもの」ではなく、 さしあげる方々のお顔を思い出しながら、 オリジナルのフォトブックをつくって差しあげています。 これも、私の「ここ10年間の流儀」になりました。 戦争で中国に行っていた祖父が、 日本に復員後、旧国鉄に勤め、播州赤穂の駅長を退職した後、 小さな旅行会社をつくりました。(自宅で) 幼い私がその後、「旅好き」になったきっかけは、 おじいさんの影響が大きいと思います。 「旅」が日常になる生活を求め、航空会社に勤務して、 休日も、ずっと、国内を旅していました。 同僚からも驚かれるくらいに……。 若いときに経験した「旅」は、 その後の、自分の視野を広く広くしてくれたように思います。 30代からは、自分の「旅」に、 「海」と「栄養士」というキーワードが広がり、 「旅の視点」がふえたことで、 次の旅は、 9月3日からのイタリア旅行。 10年ぶりのイタリア旅行となります。 いまから、旅のご報告をさせていただくことを楽しみにしています。
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by palmarosaK
| 2025-09-01 20:29
| 食ジム
2025年8月25日(月)、 千葉県教職員組合 栄養教職員部主催による、 研修会の講師を担当させていただきました。 お集まりいただいた先生方は、 学校栄養士以外にも、 教諭、学校事務関係の方々が いらっしゃったと伺いました。 この日のテーマは、 《人生100年時代に求められる 「食コミュニケーション力」とは。 ここ数年、 《人生100年時代》というフレーズが入ったテーマの ご依頼が多くなっているように思います。 「人生100年時代」というフレーズが 社会の一般用語になってきた結果でしょうが、 それと同時に、 健康支援者である栄養士サイドも、 「人生100年時代に生きる私たちは、 今までとは異なるアプローチが必要。 でも、具体的にどうしたらよいのか……」と、 新しいテーマへの対応を迫られている、 というのが現状でしょう。 さて、今回は、 以下の構成で2時間の研修会を担当させていただきました。 ◎イントロクエスチョン4題 1.「人生100年時代」とはどういう時代なのか。 2.「食」のもう1つの目的は、コミュニケーションにある。 3.人生100年時代は、「健康の3大要素」から「6大要素」へ。 4.人生100年時代に、なぜ「食コーチング」が必要なのか。 5.「食コーチング」8つの特徴 6.演習 ・「子どもをサッカー教室に通わせています。 プロテインは、とったほうがいいでしょうか」 ・ 「淡色野菜と緑黄色野菜とでは、 緑黄色野菜のほうが栄養価が高いのですか」 と、聞かれたら……。その他 2題 7.輝く栄養士・健康支援者になるためのセルフチェック。 イントロクエスチョンは、 ご参加の方々の、 緊張をやわらげるような雰囲気作りというコンセプトを 忘れないように、努めています。 私たち栄養士は、 「人生100年時代」というコトバをどこかで 聞く機会はあるものの、 「では栄養士にとって、人生100年時代って 何が変わるの?」と聞かれて、 答えに困る人も少なくないのではないか……と思います。 ここでは、 大橋禄郎先生が提唱されている、 「健康の6大要素」をご紹介させていただきました。 栄養・運動・休養という 健康の3大要素は、 「人生50年時代」の合言葉。 大橋先生は、 「人生100年時代には、 3大要素に加え3つの要素が必要」と、 おっしゃっておられることを、 千葉県の学校関係者のみなさまにご紹介できたことは、 私にとっても、心強いことでした。 人は「栄養」だけで健康になるわけではないことは 頭ではわかっていても、 目の前で、ランチタイムに大きなメロンパンを 食べている大人や子どもがいると、 ついつい言ってしまいがち。 「お昼は、そのメロンパンだけ?」 「野菜が少しあるとイイネ」 「牛乳とかないの?」 そんなふうに言うことが、 「栄養士の務めである」かのように思いがち。 そんな否定的な発言の結果として、 少なからずの人が、 「栄養士って、人のテンションを下げるプロ?」 という印象をもったとしても不思議ではありません。 たまたま1回の食事を目にしただけで、 すぐに自分の出番が来たと早合点しがち。 それだけで、人々がよい影響を受けたのであれば、 世の中は、文字通りの「人生100年社会」になっているはず。 たまたま出会った人に、 「栄養士」の存在感をアピールするのではなくて、 いくつかの「肯定的指摘」をすることによって、 まずは、親近感を生み出すことが順序ではないでしょうか。 この研修会でも、 そのための事例をご紹介させていただきました。 「あら、大きなメロンパン!! 」 「おいしそうね~」 「このメロンパンは、どこで買えるの? 先生も食べてみたいなぁ~」 昨年から、小学校でお仕事を担当させて いただくようになって以来、 春休み、夏休みの期間は、 子どもたちと一緒にお昼をいただいています。 ときどき、 ご家庭の事情の反映なのか、 子どもたちの表情が、いまひとつ輝かない実態を 間近で体験したりもします。 そんなとき、 肯定的指摘を子どもたちにおこなうと、 例(「○○君は、蝉(セミ)が大好きなんだよね。 鳴き声だけで、セミの種類がわかるの? すごい~。このあたりだったら、どんなセミが多い? 将来の、『セミ博士』だね」) 例(「○○君は、大きくなったらパパのような シェフになりたいって言っていたよね? え? サッカー選手にも、歌手にもなりたい? ○○君だったら、全部なれるんじゃない? 楽しみだなぁ~。○○君の将来♬」) その瞬間から子どもたちの目が輝き、 それ以来、目が合えば 子どもたちがかけよって、積極的に 自分の話をしてくれます。 子どもたちだけではなく、 大人も、 「こちらの話を、肯定的に聞いてくれる人」を 求めていることを実感します。 後半は、 「食コーチング」の定義、 そして特徴についてお話しさせていただきました。 参加者の9割が、 「食コーチング」というコトバが「初めて」聞く、 と、おっしゃっている印象を受けました。 持参したご本『食コーチング』、 『栄養士のためのライフデザインブック』を 多くの方々が手にとってじっくりご覧くださっていたことも 印象的でした。 とくに、 「いまは、学校栄養士として働いていますが、 いずれ、フリーランスの栄養士として活動したい」 「料理教室とか、自宅でもやってみたい。 学校給食に携わった経験をいかして」 「保護者の方々にもっと魅力的にお話をしたい」 という参加者の方々に対して、 今回、研修会にご同行くださった、 アシスタントのお2人、 深津恵子さんは、杉並区の学校でご活動されたご経験があり、 現在は、新宿区の中学校にご勤務中。 三宅理江子さんは、神奈川県の大学で、 栄養士の卵たちの育成をご担当。 私のご講義後、 上記の本の前でスタンバイしてくださり、 「転職を考えておられるのであれば、この本の ○ページに出ていますよ」 「保護者の方に魅力的にお話をなさりたいという 項目もありますよ」 「料理教室をするには……という項目もありますから 参考になりますよ」と、 休憩時間に、本をご覧になっておられる参加者に、 ご説明されていました。 驚いたことに、 この研修中に、 「もう、ご本を買いました」 とおっしゃる方が何人もいらしたこと。 写メを撮って、それをすぐにネットで購入できる……。 みなさまの行動力にも驚きました。 どの研修会でも、もっとも盛り上がるのが、 「問いかけ」の演習。 「子どもが野菜が嫌いなんです。 先生、どうしたらよいですかね。困っているんです」 「うちの子、学校でちゃんとやっていますか。 みなさんの邪魔をしていませんでしょうか」 このような話題が出たとき、 栄養士・健康支援者としては、即答しがち。 「こうしたらいいですよ」 「ちゃんとやっていますよ。 安心してください」などなど。 即答が悪いわけではないですが、 保護者からの情報がもっとも少ない状況で 即答するのは、ときに、誤答になることも……。 そんなとき、 「食コーチング」の考え方でご紹介させていただくと……。 「野菜嫌いって、具体的にどういうことかしら。 教えていただけます?」 「お好きなお野菜はありますか。 教えてください」 「給食では、どうでしょう? 召し上がっていますか」 「学校と家庭では、何かちがいってありますか」 「お子様は、おいくつですか」 「ご兄弟は、いらっしゃいます?」 「ご兄弟は、どうでしょう?」 「ご家族は、いかがですか」……。 こうした基礎的な「問いかけ」は続きました。 「問いかけ」ることで、 相手の「答え」が見つかることがある……。 みなさまには、そのヒントの一助になったとしたら幸いです。 終了後にご感想をお聞きしたとき、 「けっこう即答しちゃっていました」 「栄養士ではないのですが、 これ、大事なことですよね」 「ボクも栄養士ではないのですが 同僚の家庭科の先生に、きょうの講義の内容 伝えたいと思います」 「子どもたちに、『問いかけ』をしている余裕が ないことに気がつきました」 「まずは、きょう帰宅したら、 子どもに、『大きくなったら何になりたい?』 って、聞いてみたいと思います」 ご参加いただいた方々の中には、 「アシスタントさんが輝いておられたのが 印象的でした」 「永野さん(主催者側のお1人)が 輝いておられる源は、ココだったんですね」 などのご指摘をいただきました。 驚いたのは、 今から27年前、私が大学を卒業後 初めて、栄養士として就職した病院の 後輩にあたる方が、ご挨拶にいらしてくださいました。 「私、影山先生が退職された後、 病院に就職したんです。 影山先生のご活躍は、上役の先生もご存じで、 『後輩が活躍している』っておっしゃっていましたよ。 いまは、学校栄養士として活動していますが、 影山先生の話、やっと、お聞きすることができました」 と、おっしゃってくださいました。 たくさんのご縁をいただいた今回の研修会。 ご参加いただきましたみなさま、 ありがとうございます。 そして、 ご依頼いただいた 千葉県教職員組合のみなさま、 ありがとうございます。
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by palmarosaK
| 2025-08-27 20:41
| 影山なお子 研修会
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