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![]() イタリアに出かけていました。 フィレンツェ3泊、ベネチア4泊、 計7泊9日間の旅を楽しみました。 10年ぶりのイタリアは、平均気温26℃。 からっとしたさわやかな空気が快適でした。 羽田からローマ空港までのフライトタイム 14時間45分の機内で熟読した本の感想を ここに記録しておきたいと思います。 旅に出る前から購入していたものの、 分厚い本ゆえ、まだ全部読めておらず、 「長時間機内にいるこのときにこそ!! 」 と、機内に持ち込んだ本は、以下の2冊。 ★『大統領に告ぐ』 ――硫黄島(いおうじま)からルーズベルトに与ふる書―― (著書 門田隆将 産経新聞出版) ★『月刊 Will』9月号 《戦後80年特集 「米大統領に告ぐ!! 日本の言い分」他》 (ワック株式会社) 『大統領に告ぐ』は、 恩師からすすめていただいたご本。 硫黄島での戦いは、 陸軍中将の"栗林忠道”中将のエピソードが有名ですが、 (*栗林中将は、硫黄島の最高指揮官。 アメリカ軍から、もっとも手強い敵と評された軍人。 のちにハリウッド映画『硫黄島からの手紙』にもなった) 『大統領に告ぐ』では、 海軍の市丸利之助少将と、 ハワイ出身の日系二世で20歳の兵士の青年に 焦点が当てられています。 市丸利之助少将、三上兵曹という人物が どんな人物だったのか、 どこで、何をしていた人なのかが この本を通して、 「硫黄島での戦い」が立体的に見えてきました。 市丸少将は、 俳句や短歌を嗜む「歌人」としての一面もあった方。 与謝野鉄幹・晶子夫妻が注力されたことで 知られる歌誌『冬柏(とうはく)』にも 歌を寄せられたそうです。 硫黄島に着任するまでは……。 硫黄島では、小笠原兵団長・栗林陸軍中将の下、 陸軍1万8千人。 海軍トップの市丸利之助少将の下、 海軍およそ3千人。総兵力2万1千人。 対して、米軍の上陸部隊は、 述べ、11万1千人!!! 米軍の砲撃の凄まじさは、 「『1分間』のインターバルもない連続砲撃で、 『島の地形が変わる』と言われるほどのものだった」と、 語り継がれています。 ご本を読んで、 初めて、市丸少将が アメリカのルーズベルト大統領宛に 「ルーズベルトに与ふる書」という手紙を、 激戦地で玉砕が迫る中で、 相手国・アメリカの大統領に対して 「一通の手紙をしたためた」ことを知りました。 著者・門田氏は、 「自らの生を終えるとき、相手の国のトップ、 すなわち大統領に『手紙を出す』という発想は、 そもそもどこから生まれたのだろうか」と述べておられる。 「しかも、自分がいる場所は、太陽の光も届かない硫黄島の 地下壕の中である」 「そして硫黄の匂いが充満する高温の洞窟で、 ろうそくの火をたよりに若き日系二世の二等兵曹が その手紙を英語に翻訳し、その『英文』と『和文』を 託された参謀が『自らの肉体が滅びることを前提に』 手紙を『アメリカ側に届けた』という話を知ったら、 どう思われるどうか」 当時、アメリカ軍は、徹底した情報収集を展開していた。 遺体のふところに、日本軍の命令書や暗号書を 隠し持っているすべてのものを「収集」していることを 海軍の幹部たちは知っていたため、 「腹に巻いておけば、必ず敵に渡る」と考えていたのでは ないかと、門田氏は著書の中で述べておられます。 「日米の太平洋戦線での最大の激戦となった硫黄島の戦いで 生まれたこの『奇跡の物語』は、日本では残念ながら 知る人が少ない。むしろ、アメリカでのほうが有名だ」 (以上、すべて門田氏著書『大統領に告ぐ』から引用) しかも、その手紙は、アメリカのメリーランド州の州都・ アナポリスの海軍士官学校の資料庫に、 いまも大切に保管されているそうです。 市丸少将の手紙の趣旨を、門田氏は著書では 少将の旧字を以下のように意訳してくれています。 「日本がペリー提督の下田入港を機として、 世界と広く国交を結ぶようになって約100年、 この間、日本国の歩みは難儀を極め、 自らが望んでいるわけでもないのに、 日清、日露、第一世界大戦、満州事変、 支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至った」 「これについてはあなた方は、 日本人は好戦的であるとか、こうれは黄禍だと貶め、 あるいは日本の軍閥の専断などであるとしている。 だが、それは、想いもかけない的外れなものといわざるを得ない」 「あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一の宣伝材料と している。だが、日本が自滅から逃れるため、 このような戦争を始めるところまで追い詰められた事情は、 あなた自身が最もよく知っているところだと思う」 (中略) 「あなた方のすることを見れば、白人、とくに、 アングロサクソンによって世界の利益を独り占めしようとし、 有色人種をもって、その野望の前に奴隷化しようとするものに ほかならない。 そのためにあなた方は、奸策をもって有色人種をだまし、 いわゆる『悪意ある善政』によって彼らから考える力を奪い、 無力化しようとしてきた」 「近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、 有色人種、ことに東洋民族をして、あなた方の束縛から 開放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解 しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、 かつては、友邦であったはずの日本人を野蛮として 公然と日本人種の絶滅を口にするようになった。 それは、あなた方の神の意向に叶うものなのか?」 日本語で厳しく指摘している原書を、 ハワイ日系2世の三上兵曹が英文に翻訳。 門田氏は、この英文を「すばらしい翻訳」だと指摘されます。 市丸少将が書いた原文である、 「奴隷化」というコトバを使っている箇所を 三上兵曹は、 アメリカ人が「反発」するであろうと考え、 「犠牲」というコトバに変えるなど、 最後まで一挙に読み進めてもらうための工夫を あちこちにちりばめたといいいます。 市丸少将のこの「書」は、 従軍記者のエメット・クロージャー(当時52歳) によって発見され、 当時大スクープになったとも。 しかし、この記事、 アメリカでは海軍の検閲を受け、 およそ3か月間差し止められたとか。 なぜなら、 アメリカの”戦争の大義”を 根底からひっくり返す内容であると思われたから。 だからこそ、 『ルーズベルトに与ふる書』が、即、 新聞紙面に掲載されるのをアメリカ側は恐れたのだろうかと、 門田氏は指摘されています。 日本は、好んで戦争をしたわけではない。 日本は、領土を拡張しようと思って戦争したわけではない。 アメリカ諸国の、アングロサクソン主義が、 日本をはじめとする有色人種を「下」に見て さまざまな妨害をしてきた……。 そのため、日本はやむを得ずに戦うこととなった……。 この事実に、驚きました。 今回、門田氏の著書では、 今まで知られることがなかった市丸少将、 そして、20歳7か月で戦死した 日経二世の三上兵曹がどんな青年だったのか、 その生い立ちから家庭・教育環境まで 知ることができました。 門田氏は、三上兵曹の生家があったハワイにまで 足を運んで取材をしています。 そこで彼のお墓にたどり着きます。 しかし、その墓には骨は入っていない……。 三上兵曹の父・六一郎は、 広島県大竹市の出身で、 兄弟を養うため、10歳で北海道、 その後、ハワイに渡った。 三上兵曹は、六一郎の長男。兄弟は8人。 門田氏は、2025年2月に、 三上兵曹の末の妹"節子”(85歳)にハワイで会っています。 三上兵曹は、とても優秀な子どもだったようで、 現地の学校が終わった後に、 当時日系1世の子どもたちが通っていた日本語学校の校長先生が 「ここにいてはもったいない。 日本にどうしても連れて帰りたい」と、 両親を説得して15歳で日本に渡ったそうです。 その後、広島の旧制の崇徳中学校に進み、 卒業を待たずに海軍に入隊し、 アメリカ側の情報を日本語で通訳するという 「通信諜報員」の1人として活躍。 英語も日本語も堪能な人材は、 当時の陸軍、海軍でも貴重だったといいます。 いよいよ、戦局が最終局面となったとき、 市丸少将は、 「(中略)襲来する敵に立ち向かうわが軍の矢弾は、 もう尽きた。(中略) 日本の存亡は眼前に迫っている。 諸子はよく自己を見つめ、七生報国、 100年後の日本民族のために殉ずることを切望する」 最後の 「100年後の日本民族のために……」という一文は、 戦後80年後の私たちに「問いかけ」られているような 気持ちになりました。 80年前、日本の民族のために 命をかけて戦った人たちのおかげで、 今の日本がある。 先人たちが命をかけて戦った歴史の1つ1つを、 もっと知りたい……と、強く思いました。 80年前、自身の「死」を前提に、 敵国の大統領に、手紙を書いた、市丸利之助少将と ハワイ生まれの日系2世・三上兵曹、 そして、この手紙を英文、和文とを腹に巻きつけて 戦死した人たちがいたからこそ、 この手紙が日の目を見たのだと考えると 涙がとまらなくて……困りました。 14時間45分の片道フライトタイムは、 機内食の時間をのぞき、 ずっと、この本を熟読していました。 まわりは、 映画を観たり、音楽を聴いたり、 薄暗い機内の中で、読書灯で この1冊を読み終えた自分を 褒めてあげたいと思います。 戦後、80年後の日本で この本に出会えたことに感謝したと同時に、 著者の門田隆将氏に、 「この本を出してくださったことに感謝」の 気持ちでいっぱいになりました。 到着したイタリア・フィレンツェ空港までは、 ローマ空港から国内線に乗り換えて1時間。 深夜に到着した空港からホテルに向かうタクシーの中で カメラを忘れたことに気がつき、 車内でいただいていた領収書をもとに、 電話をしたら、すぐにそのタクシーの運転手が 戻ってきてくれてカメラを取り戻すことができました。 日本だけではなく、 イタリアでも忘れものが戻ってきた!!
by palmarosaK
| 2025-09-17 03:10
| 『大統領に告ぐ』
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