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2025年8月15日、前回の映画鑑賞会から2か月ぶりに、 映画鑑賞会を開催しました。 映画のタイトルは、『雪風 YUKIKAZ』。 終戦記念日の8月15日(金)に 封切りされる日に、どうしても観にいきたい……と 思った理由がありました。 それは、 今年4月に、広島・呉に行ったとき、 「澎湃館」(ほうはいかん)という 赤レンガづくりの施設での 見学ツアーに参加しました。 そこでガイドの方から こんなお話をお聞きしたからです。 (「澎湃館」とは、明治30年代に建てられた赤レンガ倉庫。 戦時中は、旧呉海軍工廠の第一弾薬庫として使われていたそうです) 「今年8月に上映される『雪風』。 私も絶対に観ようと思っています」 『雪風』は、幸運艦とよばれるようになったくらい、 どんな戦地に行っても、 かならず帰ってきたのです」 「『雪風』の艦長さんは 体が大きく、ひげが特徴。 人情にあふれていた。 乗組員が『この人について行きたい』 と、思わせてくれる人だった」……。 このお話を聞いていたので、 8月15日が来るのを楽しみにしていました。 駆逐艦「雪風」は、 「坊の岬海戦で、 戦艦「大和」の最期を見届けた艦であり、 「大和」で生き残った方々を 救った艦であることも教えていただいていたので 「観なくては」という使命感のようなものを感じていました。 「駆逐艦」(くちくかん)というコトバも、 1年前までは、知りませんでした。 昭和史に長年取り組んでこられた 作家・故 半藤一利さんは、 「『戦艦大和』や『ゼロ戦』は、 たくさんの人が書いているのに、 駆逐艦の苦闘を書いたひとはいない。 太平洋戦争でもっとも働いたのは、 駆逐艦乗りです。 光は当たらないけれど、いつだって第一線で働いて、 いちばんやられている、 それを誰も書いていないのはおかしいんじゃないか。 じゃあ、俺は、駆逐艦を書く、と」 (山本明子氏(半藤一利著「昭和史」シリーズ編集者)から一部抜粋 「駆逐艦は、艦隊、護送船団、戦闘群の中で 大型艦船を護衛し、戦闘時には、 主艦への敵艦や敵機からの攻撃を 防御する役割の、高速、機動性、耐久性に優れた軍艦」 とのこと。 (参考/ウィキペディアから一部抜粋) 戦後80年のこのタイミングで 『雪風 YUKIKAZE』に出会えてラッキーでした。 ご高齢になられ、 それぞれの遺族会も 解散せざるを得ない状況であることも いろいろのメディアで見聞きします。 「駆逐艦から観た太平洋戦争」……という視点が 今まで見ていた書物や映画などとは 異なっているようにも感じました。 主人公の寺沢一利について、 前述の山本明子さんは、 (半藤一利著「昭和史」シリーズ編集者) こう述べておられます。 「この映画が制作されたのは、 雪風について、半藤一利さんが 熱弁をふるったことがきっかけだったという」 「主人公の名前が『一利』」 映画のなかで半藤さんの面影が ちりばめられていることに気づくと、 にんまりせずにいられなかった」 (『雪風』のパンフレットのコラムによる) 実際の艦長さんのお名前は、 「寺内正道」さん。 (この映画は、ドキュメントではないので、 フィクション名) 海軍兵学校では、後ろから2番目の成績だったそうですが 「実戦に強い」と評判だったとか。 艦(ふね)が出撃するとき、 乗組員たちは、遺書を書くことが多かったそうなのですが 寺内艦長は、 「自分の艦は、沈まない。かならず帰ってくる。 手紙は、帰ってからゆっくり……」 と、実際にもおっしゃっていたことは、 映画でも紹介されていました。 また、寺内艦長の実話として、 敵の乗組員が、撃沈寸前の自艦から離れ、 救命ボートに乗り移って海上を漂っているときに、 それを攻撃しようとしている「雪風」の乗組員に対して、 「丸腰の者を撃つな」と強く制止し、 それどころか、その漂流者たちに対して 敬礼をするシーンも映画で紹介されていました。 このエピソードは、 アメリカの公式文書にも 記録されているそうです。 こうした実話の数々があったため、 別の艦の乗組員たちが、 「雪風」の乗組員と出会うと、 「握手を求めたという。 伝統的な「武士道」は、 太平洋戦争の時代にも、 生きていたということでしょうか。 映画の終盤、 沖縄まで「戦艦大和」を護衛して水上特攻に出て行き、 「戦艦大和」の最期を見届けるシーン。 母の父の弟が、大和の乗組員だったことを 昨年10月、沖縄で知り、それ以来、いろいろの本を読んできたので 大和の最期は、もちろん知っていました。 それでも、映画でこのシーンを観るのは辛かった。 「おじちゃんは、どの位置にいたのかな」 「おじちゃんは、海に投げ出されたとき、 泳ぐことができたのかな」 「4月の海は、真冬の水温だとか……」 前述の山本明子さんのコラムに戻ります。 歴代の「雪風」の艦長4人が 1970年に座談会で語られたという話が とても印象的でした。 「世界一の幸運艦になることができたのは(中略) 艦には家風と同じような『艦風』というものがあるが、 その『艦風』がよかった」 「一言でいうのなら、なごやか、というか、 上から下まで一緒になって酒をのむ。ワイワイ言ってね」 映画を鑑賞して、 「雪風」のパンフレットでこのコラムを 熟読してハッとさせられました。 どの組織、場所にいても、 「艦風」がその人たちの絆を強固なものにさせると……。 いまのコトバに置き換えると、 「環境」「雰囲気」とでもなるのでしょうか。 「家風」というコトバも、いまは消えてゆく運命かしら? 「雪風」は、終戦後、復員船として復活し、 海外に取り残された日本軍民の引揚作業(帰国)に従事し、 1946年2月11日から12月18日の間に、 15回の輸送を行ない、のべ1万3056名を 日本へ帰還させたという記録があります。 1947年7月6日には、 中華民国(いまの台湾)へ賠償艦として引き渡され、 「丹陽(タンヤン)」と名を改めて1965年11月まで 同国の主力艦として中国共産党との戦いに活躍したそうです。 1969年夏、暴風に遭い、 艦底を破損して除籍、解体処分となり 29年の艦歴に終止符を打ちます。 残された「雪風」の錨(いかり)とスクリューは、 広島県江田島市にある 海上自衛隊第一術科学校と、 「雪風」の元乗組員たちは、 戦後、江田島に集まり、 男泣きに泣いたといいます。 「俺たちの『雪風』がこんなになってしまった……」と。 昨年12月に、 広島・江田島にある元海軍兵学校に 行ったときの風景が、 スクリーンいっぱいに現われました。 「あのときのモニュメントは、 『雪風』だったんだ……」と 映画館は、封切り初日とあって満席でした。 ご高齢の方が多いのでは……と思ったのですが 若い方々、 親御さんが夏休みを利用して 子どもたちといっしょにこの映画を……というご様子も 複数お見かけました。 同行くださった大橋禄郎先生は、 終戦時9歳。 「いまの時代に、この映画をつくろうと思った その心意気がイイネ」 と、おっしゃっていたことも忘れられない1日となりました。
by palmarosaK
| 2025-08-16 23:19
| 映画鑑賞
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