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![]() 広島の呉市に2泊3日の旅をしました。 今年は2月にも同地に行っているので、 2回目の旅となりました。 前回は、2月中旬に、 「大和ミュージアム」がリニューアルのために 1年間休館するというので、 その前に母と入館しておこう、 というのが、おもな目的でした。 大和ミュージアムの正式名称は、 「呉市海事歴史科学館」。 2005年4月にオープンし、 明治以降の日本の近代化に貢献した 呉の歴史を伝えています。 第2次世界大戦前には、 「戦艦大和」を建造した東洋一の軍港で、 日本一の海軍工廠(こうしょう)の町だったことを このミュージアムで知ることができました。 前回の旅が終わり、またすぐに、 広島行きの飛行機を予約したのは そんなワケがありました。 昨年10月にパルマローザの栄養士さんたちと 沖縄への旅をしたことから始まります。 毎年、ダイビングやスノーケリングで 訪れている沖縄。 ところが、 私たちが訪れた日は、 前日からの台風の影響で、 晴れていたものの、 海が荒れていたため、 離島に渡るフェリーは欠航……。 そこで、 「まだ行ったことがないところに 行きましょう」という、 ガイド役の大橋禄郎先生のご提案で、 沖縄の南部地方に向かいました。 当日、タクシーの運転手さんから 「ひめゆりの塔に行くんだったら、 その近くの『平和祈念公園』にも 行ったほうがいいですよ」と、 強くおすすめいただいたので、 一行は、その場所に行くことに。 そこには、80年前の沖縄戦で お亡くなりになった20万人の名前が 都道府県別に刻まれている石碑がありました。 それを遠目で見た瞬間、 私は走り出しました。 自分の意志というよりも、 なにかに急かされたような感じでした。 遠い昔、私が5歳のときに、 祖母から聞いたことがある、 叔父さんの話を思い出し、 「まさか」「まさか」と思いつつも、 石碑の氏名をたどって小走りに進みました。 「やはり!! 」 おおぜいの戦没者の名前をたどって行くと、 兵庫県の戦没者の石碑の前で 「島崎 護(まもる)」という名前を見つけました。 その人こそ、母方の叔父さんです。 戦艦大和の乗組員として勤務中、 4月7日に、鹿児島坊津沖で米軍機の猛攻撃を受けて、 艦は撃沈されます。 当時20歳であった護おじさんも 艦とともに海底へ。 ご存命であれば、今年100歳。 こんな出会いがあった沖縄の旅から帰った後、 戦艦大和に関する本などを たくさん、たくさん読みました。 そこで、 大和が建造された、広島・呉市に 母と出かけ、 「大和ミュージアム」でも、 叔父さんの名前を見つけることができました。 そのときの、母の表情といったら……、 「ああ、あった!! あった!!」 81歳の母も会ったことがない、叔父さん。 (母の父の弟にあたります) 今回の旅で、母は、 遠い昔、自宅の壁に、海軍の制服を着た 叔父さんの写真が飾られていたことを思い出したそうです。 そしてこうも言いました。 「私は父からも叔父さんのことは聞けなかった。 だから、あなたが(私が) 叔父さんのことを思い出してくれなければ、 私は思い出すこともなかったと思う。 戦争の話は、なんとなく『タブー』だった、 そんな空気が流れていた家だったから」 母との旅が終わり、 「戦艦大和の慰霊祭」が毎年4月7日に おこなわれていることを知りました。 大和が沈没した時間、2時23分に黙祷をささげるという 慰霊祭が毎年あったことを、今ごろ知ることになるなんて……。 どうしても、4月7日に行きたいと考えていたのですが 仕事のため叶わず、 「せめてその前日近くに行きたい……」と、 4月3日~5日まで、呉に滞在することができました。 前回の呉の旅で伺うことができなかった場所を 今回は、呉に2泊したこともあり、 じっくり訪問することができました。 ・潜水艦ツアー 日本中で、こんなに近くに潜水艦が見られるのは、 広島の呉だけとお聞きしました。 昔は、アメリカでも身近に見ることができたそうなのですが 「9.11」事件が起きたことで、 バスの停留所に「潜水隊前」という名前があるほど。 そのバス停付近から撮影されている人たちも 大勢いらっしゃいました。 私たちが伺ったときは、 9つの潜水艦を見ることができました。 ・入船山記念館(平成10年 重要文化財指定) 旧呉鎮守府司令長官官舎を中心に、 郷土館、歴史民俗資料館(近世文書館)があり、 呉の歴史に思いを馳せることができます。 建物には、「金唐紙」という特別な壁紙が 使われており、この壁紙が現存する建物としては、 北海道・小樽にある、旧日本郵船小樽支店(重要文化財)と、 広島・呉にある入船山記念館だけと、お聞きしました。 ・長迫公園(旧海軍墓地) 毎年、4月7日にこの場所で、 「戦艦大和」の慰霊祭があることを知ってから、 どうしても伺いたかった場所。 海上自衛隊の旗がたてられており、 「戦艦大和」以外にも たくさんの戦艦や潜水艦で亡くなられた方々の 石碑がありました。 とても手入れが行き届いているところで、 お掃除をなさっておられた男性が 話しかけてくれました。 「4月7日は、ここで慰霊祭がありますよ」 「ここでお亡くなりになられた方々は、 みなさん、『靖国で会おう』とおっしゃって お亡くなりになったのです」 長迫公園(旧海軍墓地)にある 戦艦大和の石碑は、ひときわ大きく、 その石碑のそばにあった戦没者の名前の欄にも、 「島崎 護」さんの名前を見つけました。 前述の男性曰く 私が叔父さんの名前の欄を凝視しているのを ご覧になって 「きれいでしょ? 遺族の方々に指摘されて、 最近、お名前のところをきれいにしたんですよ」。 これまで毎年慰霊祭があったというのに、 まったく知らないでこれまで生きていた私を 「叔父さん、許してください」という気持ちで お参りしました。 ・「歴史の見える丘」 高台になっているその場所。 目の前が「戦艦大和」がつくられた場所。 歴史の見える丘には、 ここにも、「戦艦大和」の記念碑がありました。 ・呉のマンホール。 呉のマンホールだけを撮影している人がいるくらい、 アートなマンホール。 入船山記念館に伺う道のりに ・「鉄のくじら艦」 ここのポストカードが大好きで、 今回もポストカードを買うために入館しました。 ここでは、 海上自衛隊のOBの方々が いろいろの説明をしてくださり、 海上自衛隊がどのようなお仕事をなさっておられるのかが また、実際の潜水艦の中にも入れるので お子様から大人の方まで体験されていました。 ・「福住」のフライケーキ。 以前、広島で開催された文章教室に伺ったとき、 呉に、こんなおいしいお菓子があることを 初めて知りました。 そのときも感動しましたが、今回も。 1個100円。 地元のかたらしき人が10個、20個と 頼んでいたのが印象的。 東京の「揚げまんじゅう」に似ているかな。 ・「エーデルワイス」のクリームパイ。 広島がご実家の栄養士さんからお教えいただいた 呉市民なら知らない人はいないというくらい 有名な洋菓子やさん。 午後には、売り切れになるとのことで、 午前中に伺いました。 クリームパイの下は、 固めのプリンのような生地。 なるほど、これは、やみつきになる。 ・呉冷麺 呉冷麺発祥といわれる、 「珍来軒」でいただきました。 細麺で、麺がツッヤツヤ。ピリ辛。 近くにこのお店があれば、 週1で通いたい。 海軍ゆかりの料亭だった「五月荘」。 前回伺ったときは、定休日だったので 今回やっと伺うことができました。 ここでは、「海軍御膳」をいただきました。 呉発祥の「肉じゃが」や「音戸ちりめん」 季節の釜飯をいただきました。 ・「アレイからすこじま」 海上自衛隊の潜水艦と護衛艦が イカリを下ろしている公園。 旧海軍工廠(こうしょう)のレンガ建造物や 魚雷積載用クレーンなどの歴史的なモニュメントが見られる。 以前、呉に伺ったとき、 多くのかたから 「『アレイからすこじま』には行ったほうがいいよ」 と、おすすめいただいたので 今回、やっといけました。 ・「澎湃館(ほうはいかん)」 旧海軍工廠第一弾薬庫。 いまは、レンガ倉庫のレトロな雰囲気の お土産屋さんになっています。 この「澎湃館」で、 戦艦大和の生き残り9人の方に お話をお聞きしたという、 澎湃館の社長さんのお話をお聞きするイベントがあり、 参加しました。 「戦艦大和」の最期がどんなだったかを、 まるで、生き残りの方から直接お聞きしているような 気持ちになりました。 その方によると、 乗組員の誰もが、大和が「水上特攻」であることを 自覚していたと、おっしゃいます。 私たちがその方のお話をお聞きしたのは、 4月5日の午後2時。 その方はこうおっしゃいます。 「80年前の今ごろ、 戦艦大和を水上特攻させる作戦に、 異議を唱える人が多く、大激論が 上からの命令とあれば、結果的には出撃しなくてはならない。 大和は、「水上特攻」が決まった翌日には出撃。 (通常、命令があった翌日に船が出撃する、 ということはないのだそう) 燃えるものは全部陸にあげてから出撃したそうです。 そして、4月7日、いよいよその日が……。 生き残った方々の証言を その方がまるで乗り移ったかのように お話なさるその姿に、 参加している20数名の方がたから 1時間の予定が 2時間になり……そのイベントが終了しました。 いちばん前で、 頷きながら一生懸命聞いていたからでしょう。 主催者のその方が話しかけてくださいました。 「どちらからいらしてくださったのですか」 「横浜です」 「そんな遠くから!!? 」と驚くその方に、 「母の父の弟が、乗組員だったそうで、 4月7日の慰霊祭には伺えないので きょうお話をお聞きできてよかったです」 「ずっと知らなかったんです。叔父さんのこと。 81歳になる母も……。 母の父が、戦争のことを語ることを嫌ったようで 誰も、おじさんの最期を詳しく知らなかったんです」 「偶然、昨年の沖縄の旅で、 祖母から少しだけ聞いていたエピソードを思い出して、 叔父さんの名前に巡り会うことができたんです」 「だから、やっとここに来ることができました」という私に、 その方は、こうおっしゃいました。 「生き残った方々も、こうおっしゃっていましたよ。 『なんで生きて帰ったのか』と言われるのがつらくて、 ずっと大和の乗組員だったことを言えなかったと」 4月7日は、私は、埼玉県の女子栄養大学で 11時~18時30分まで授業をしていました。 大和の沈没した2時23分。 私は授業を続けながらも、 心の中で、祈っていました。 「おじさん、80年後になってしまったけれど、 おじさんの最期を知ることができてよかったです」 「おじさんの分までいっしょうけんめい生きてゆきますね」 その日のニュースを見ていると、 広島・長迫公園での戦艦大和の慰霊祭、 鹿児島県・枕崎沖にある 戦艦大和の記念碑(米軍からの爆撃をうけたとき、 その様子がもっとも身近に見えた場所)での慰霊祭、 徳之島に建つ、戦艦大和の記念碑の前での慰霊祭の
by palmarosaK
| 2025-04-10 00:22
| 戦艦大和
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