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2024年4月20日(土)は、 母校・日本女子大学の創設123年となる、 創立記念日でした。 この日、 日本女子大学の卒業生を対象とした 第43回「ホームカミングデー」に参加しました。 卒業後、5年、10年、15年、20年、 30年、35年、40年、45年、 50年目にあたる卒業生が 創立記念日と同じ日に開催されたイベントに、 母校および、母校の同窓会からご招待いただきました。 社会で活躍する卒業生たちに、 大学に戻ってきてもらうきっかけを作ることで、 「母校を大いに活用していただきたい」 という趣旨もあるのではないか、と考えています。 日本女子大学では、1978年(昭和58年)10月に、 第1回「ホームカミングデー」を開催したそうです。 それをきっかけに、 いまでは多くの大学が、 ホームカミングデーを実施しています。 日本女子大学の設立者は、成瀬 仁蔵先生。 成瀬先生は、 1858年、現在の山口県山口市吉敷に、 幕末の、維新の風が吹き荒れる当時の長州藩に 下級武士の子として生まれました。 『成瀬仁蔵 その生涯という書物には、 先生には、「3つの顔があった」と書かれています。 (日本女子大学成瀬記念会館編集・発行 2023年1月1日) 1つめは「宗教家」としての顔。 故郷・山口を出て 大阪の浪花協会で受洗後、牧師となり、 奈良や新潟などで熱心な伝道活動を行なった、と。 2つめは、「教育者」としの顔。 大阪では、梅花女学校の主任教師を務め、 新潟に赴任後は、新潟女学校を設立するなど 女子の中等教育に従事しました。 そして、1901年(明治34年)4月20日に、 日本で最初の組織的な女子の高等教育機関である、 日本女子大学を創設し開校します。 3つめは、「社会活動家」としての顔。 思想団体である「帰一協会」を設立するなど、 世界の平和を探求する活動を展開しました。 キャンパスを歩くと、 私の時代にはなかった校舎ができていたり、 校内にあった図書館棟が、 いまは、正門の前の通りを隔てた反対側に、 ガラス張りのセンスのある3階建になっていたりしました。 その一方で、 成瀬仁蔵先生のお住まいになっていた古民家が 「東京でやってゆけるのかな……」と、 不安な面持ちで歩いていたかもしれないキャンパスを 卒業して35年後のいま、 さわやかな気持ちで歩いている……。 そのことに、深い感慨を感じざるを得ませんでした。 正門の左側には、 創設者・成瀬仁蔵先生の記念館があり、 今回、初めて見学しました。 そこには、 成瀬先生が「女子を人間として教育する」ことを 第一の目標に掲げた理念や「書」が飾られています。 先生は、1891年1月(明治24年) 単身、アメリカに渡って3年間、 アメリカ社会の実態を学ぶことによって、 あらためて、 日本における女子の高等教育機関の必要性を痛感し、 ご自身の使命を見いだしたそうです。 帰国後の日本では、 女子の半分以上が小学校に通っておらず、 女子に教育は「有害無益」と考えられていたようですが、 だからこそ、先生は、 「女子を人として教育すること、 婦人として教育すること、 国民として教育すること」を趣旨とする 『女子教育』を1869年に出版しています。 『元祖、女性は太陽だった』の文言で知られる 平塚らいてう氏は、 この『女子教育』に大きな感銘を受けて 日本女子大学に入学したそうです。 今では、当たり前のことが、 123年前にはとても困難な時代だったことが その空間に身を置くだけでも伝わってきました。 成瀬先生は、 政治家、財界人、教育家のもとを訪ね、 ご自身の信念を伝え、協力を要請します。 大阪の豪商・加島屋の広岡浅子氏は、 彼の『女子教育』に共感し、 自身の実家・三井家から 東京目白の土地を寄付するなど 経済的にも、精神的にも惜しみない援助をしたことで 後世にも知られています。 4月20日、私がこの場所を訪ねた日の123年前、 ここに、510名の新入生を迎えて 「日本女子大学校」が開校しました。 成瀬先生が42歳のときだったそう。 「思想がある人、思想がある学校は 多くの人から支持される」ことを きょうこの1日で改めて実感しました。 ホームカミングデーでもあるこの日は、 卒業生のために、 「人生100年時代に備えての転職」の説明会や 留学相談会、カウンセリングなどの案内がありました。 またこの4月からは、 従来の家政学科の一部であった 住居学科に加え、 新しい学部ができていました。 それは、「建築デザイン学科」。 隈 研吾氏が、新しい学科の特別招聘教授として、 この日の午前中に、ご講演なさったそうです。 成瀬仁蔵記念館で、 杖をつきながら、階段を上り、 1人たたずんでおられた女性に お声をかけさせていただきました。 「どちらの学部をご卒業なさったのですか」 とお尋ねすると、その方は、 「私は、ここの教員だったのですよ」 「国文科出身なのです」 「平家物語が私の専門なのです」 「作家の平岩弓枝さんも同じクラスでした」 「鎌倉から目白まで毎日通っていましたよ」 「当時は、今のように交通の便がよくなかったので 時間がかかりましたね」 「毎日、鎌倉の材木座海岸で 犬と散歩していますから足腰は元気なのですよ」 「私はね、この3つの本学の精神で がんばることができたのです」 その3つの綱領とは、 入学のときから、全員で合唱させられた ・信念徹底 ・自発創世 ・共同奉仕 ずっと静かにその文字が書かれた看板を ご覧になっていたその方は、 こうおっしゃっておられました。 「来年、ここにもう来られるかもわからないから もう少し、ここにいようと思っています。 どうぞ、お先に……。 鎌倉にいらっしゃることがあれば お立ち寄りください」 そして、お名刺をいただきました。 その方のお名刺の肩書きには、 日本女子大学 名誉教授とありました。 しっかりとした品のよいお話のなさり方、 温かいまなざし……。 歳は異なっていても、 同窓生とはこんなにも心地よいもの…… ということも発見でした。 ご退官後も、 おひとりで、電車に2時間以上をかけて ここにいらっしゃったその方のライフスタイルには 憧れずにはおられません。 私が地方の田舎から 東京・目白の日本女子大学に進学した理由の1つは、 愛読していたご本が 平塚らいてう氏の自伝だったから。 日本の女性運動の歴史に、 この人の名前がいまも残り語り継がれるほど 静かに、激しく、信念や、多様性のある思想を 文字というカタチに残された方の母校でもあるのです。 母校を訪ねる数日前のこと、 家族がお世話になっている先輩ご夫妻と 会食をする機会がありました。 その奥様も、なんと日本女子大学の卒業生。 そして、こうおっしゃっていました。 「日本女子大学の卒業生は、みんな強いですよね。 自分の意見をシッカリ言える人が多かった、昔から。 今もそれは変わらないと思うけれど」と。 キャンパス内は、樹木が高くそびえ立ち、 緑の葉と、日の光がまぶしく目に映りました。 これからの5年、10年、15年も、 ここの卒業生として誇りをもって活動してゆきたい……と あらためてそう思った1日でした。
by palmarosaK
| 2024-04-24 21:36
| 日本女子大学
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