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![]() 1作めは、 『ベイビー・ブローカー』 監督/是枝裕和氏 韓国映画 鑑賞日 2022年7月12日(火) 劇場 日本橋TOHOシネマ 2作めは、 『キャスティング・ディレクター』 監督/トム・ドナヒュー アメリカ映画 鑑賞日 2022年7月13日(水) 劇場 ジャックアンドベティ横浜 3作めは、 『歩いて見た世界』 ――ブルース・チャトウィンの足跡―― 監督/ヴェルナー・ヘルツウォーク イギリス映画 鑑賞日 2022年7月22日(金) 劇場 岩波ホール(東京・神保町) 1作目の 『ベイビー・ブローカー』は、 是枝監督のシナリオを、 オール韓国の俳優が演じ、オール韓国ロケ。 さまざまな事情で赤ちゃんを育てられない人が、 赤ちゃんを匿名で預け入れることのできる窓口のことを、 「赤ちゃんポスト」という。 『ベイビー・ブローカー』公式パンフレットによると、 「世界で初めてとなる『赤ちゃんポスト』は、 2000年4月にドイツ・ハンブルクの民間幼稚園の片隅に、 『ベイビー・クラッペ(赤ちゃんの扉)』の名前で 設定され、数年の間にドイツ全土に、そして、 オーストリアやスイス、中欧、東欧に広まった。 ドイツは、おもに、 キリスト教カトリック系妊婦支援団体によって 100か所ほどの赤ちゃんポストが開設された。 総数は公表されていない」 「日本では、2007年5月、 熊本慈恵病院に医師・蓮田太二氏によって設置された。 開設初日に3歳男児が預けられ、大きな話題に。 2007年5月から2020年度までに、 累計157人の子が預け入れられた。 2017年3月までの間に預け入れられた130人のうち、 13人が障害を持ち、 26人の親の身元が不明だったことが 明らかになっている」 「韓国の赤ちゃんポスト(ベイビー・ボックス)では、 2009年にソウル市内の ジュサラン・共同体協会に設置された。 設置者は、 イ・ジョンラク牧師とその妻のチュンジャ。 イ夫妻には、 重度の障害を持つ息子がおり、 赤ちゃんポスト設置以前から 障害児や弱者の支援事業をおこなっていた」 「2009年から2019年末までに 1802人の赤ちゃんが預けられており、 実母のところに戻った赤ちゃんは160人ほど。 預けた母の約半数が未婚、 全体の47%が地方出身者、 知的障害や身体障害を持つ子も 多く預け入れられている」 過ぎてしまう1つ1つを、 観客である私たちに、問いかけてくれる。 「赤ちゃんポストはいまどうなっている?」 「よその国は?」 「お隣の国は?」 是枝監督の「家族とは何か」を、 最後の最後まで考えさせられた映画でした。 映画のタイトルから、 「必ず観なくては……」という気持ちに させてくれた映画でした。 そして、この直感は、大正解でした。 この映画が教えてくれたことの1つには、 映画が成功するためには、 「誰をこの映画の配役にキャスティングするか」 という職業 《キャスティング・ディレクター》 という存在があること。 しかも、その職業がつい最近まで、 社会的に認知されていなかったこと、 映画の成功の可否は、 キャスティング・ディレクターの存在が大きく 左右すること、 そのキャスティング・ディレクターの 第一人者が、 「マリオン・ドハティ」 という女性であったこと。 マリオン・ドハティという女性がいなければ、 いまのアメリカの映画界はなかったと 言わしめるほどの彼女。 それまで、 配役を決める重要なポイントは、 実力のあるなしではなく、 すでに人気のある俳優であったり……、 所属事務所の推す人たちであったり……。 才能がある俳優がいたとしても、 「医師」役でヒットすれば、 医師役ばかりオファーがきたり、 「あばずれ役」が大衆に受ければ、 同じ役ばかりオファーされたりしていたという。 スクリーンでは、 ロバート・レッドフォード ロバート・デニーロ、 ジェイムス・ディーン、 クリント・イーストウッド、 ダスティン・ホフマン、 アル・パチーノなどなど、 大成功をおさめた俳優たちが、 こう、語りかける。 「あのとき、彼女が僕を見つけ出してくれたおかげで 今がある」 「僕自身にもわからなかった才能を発見してくれた」 監督たちも彼女を高く評価する。 とくに、ウディ・アレンの発言には驚いた。 「たくさんの俳優たちをオーディションで選ぶのが苦手。 できればそういう場にいたくない」 「彼女に任せれば大丈夫」 俳優としてはみじんも見せない彼の欠点が 監督としての彼には致命的となる。 しかし、 「キャスティング・ディレクター」である 彼女がいてくれたおかげで、 ウディ・アレン監督だけではなく、 多くの監督たちが救われたのだろう。 そして、 ある俳優のインタビューも印象に残っている。 「映画に出るチャンスまでもらったにも関わらず、 その映画で大失敗をしてしまった。 謝ろうと思い、10年間、まだ謝ってなかった。 恥ずかしくて、彼女の前に出ることもできなかった」 「そして、10年後、知人の俳優仲間から 彼女がキャスティングの オーディションをする話を聞いた。 アポなしで飛行機に乗って向かい、 偶然彼女に会うことができた。 これが最後のチャンスと思い、 彼女に昔の失態をわびた」 「彼女は、こう言った。 『過ぎたことは気にしないわ』」 「そして、オーディションを受けることができた」 「いまの成功は、彼女なくしてはありえない」 マリオン・ドハティは、 自分で劇場に足を運んだり、 映画館で「彼女だ、彼だ」という次に輝く人材を探したり、 自分の直感を信じ続けた。 「自分ですら気づいていない何かを見つけてくれる、 彼女のような人の前では 私は自然と謙虚でいられた」 ダニー・グローヴアー 「彼女は明らかに映画界の水準を引き上げた。 私自身も いろいろの役に挑戦できたのは彼女のおかげだった」 ロバート・レッドフォード 「映画監督の仕事の9割は、 キャスティングの質で決まってしまう」 マーティン・スコセッシ 多くの名優、映画監督に尊敬されていた マリオン・ドハティ。 映画の最後に出るクレジットには、 「キャスティング・ディレクター」ではなく、 「アシスタント」として彼女の名前が……。 これに対して、クレームを入れる彼女。 監督たちの中には、 「キャスティング・ディレクター」の 「ディレクター」というコトバが気にくわないという 人がいたことが映画から理解できた。 ディレクター=監督。 「そのコトバを使ってほしくない」 という監督たちのホンネ。 その中で闘ってきた マリオン・ドハティ。 映画は語らないけれど、 観客たちには静かにわかる。 マリオンが女性だったことも、 この職業の社会的認知が遅れたことも。 この映画を鑑賞できたことで、 私の目指す「食コーチ」との 共通点を発見できた。 「クライアントの気づかない才能、魅力」を、 食コーチが、食を通して、 『健康をカタチ』にする お手伝いをさせていただくこと。 映画を見終わり、 映画館から自宅まで道のりが とても軽やかだったことを忘れないでしょう。 最後の映画は、 「歩いて見た世界」 ――ブルース・チャトウィンの足跡―― ブルース・チャトウィンという作家を知りませんでした。 この映画に出会うまでは。 イギリスの作家であり、 49歳という短い生涯を閉じた 風のように現われ、風のように逝ってしまった ブルース・チャトウィン。 岩波ホールの映画が 2022年7月29日(金)に閉館するとあって、 「岩波ホール上映最後の映画は、 かならず観ておかなければ……」と、 慌てて、雨の中、映画館に向かいました。 今までもそうだったのですが、 岩波ホールの映画は、 私の視線の1歩も2歩も前に 光りをあててくれているような 気持ちにさせてくれるのです。 終わった後に、 「その作家さんの小説を読んでみたい」 「その作家さんの人生をもっと知りたい」 と思わせてくれた今回のように。 このドキュメンタリー映画の主役、 チャトウィンが、 子どものころ、自宅にあった1枚の毛皮(動物の皮)に 魅了されて、結果、放浪の旅に出たように……。 アボリジニの神話に魅せられて、 チャトウィンの死の間際まで、 小説を書いていたこと……などなど。 この映画は、彼の歩いた道を、 観客の私たちも、彼の視点で 彼の通った道を旅しているかのような 気持ちになれる映画。 彼の印象をこう語っています。 「彼は、魅力的な人だった」 「人目で、ハッとするような人」 「男性も女性も関係なく、 人から愛される人だった」 彼の妻さえも 「彼のまわりにはいつも大勢の人がいた。 彼の話はおもしろいの。 しゃべりだしたらとまらないの」 「昔、このイスに彼が座って、 この場所でよくここからの景色を見ていたのよ」 「懐かしいわ」 「会いたい……」 もっと書きたい小説があったという。 生きていたら、 もっともっと旅をし続けていたのでしょう。 旅をし、そこからスピリチャルなエネルギーを吸収し、 彼の栄養源になって、本が完成する……。 まったく知らなかった世界に旅をさせてくれた この映画、そして、岩波ホールに感謝した1日でした。 平日しかも雨だったその日。 ……にもかかわらず大勢の人がここに駆けつけ、 みんながロビーにある、 過去に上映された映画のポスターの数々を背に、 それぞれが写真撮影しています。 観客の1人としてリニューアルされた 席に座っていると、 35年前にスリップしていました。 チケット販売、パンフレット販売、 お客様へのお声かけをしていた 当時の女子大生の私が、 そこにいるかのように……。 しばし、映画が終わった後、 ゆっくりと、余韻にひたりながら映画館を後にしました。 私の10代、20代前半は、 岩波ホールでアルバイトさせていただき、 たくさんの上質な映画に触れさせていただいたこと、 そして、 その映画を熱く、熱く語る人たちと ご一緒させていただいたことが 一生の財産となっています。 「岩波ホールで上映する映画は名画の証」 と、世間ではそう言われているそうです。 私も、 「栄養士として、岩波ホールのような存在を めざし続けていきたい」と、 映画が終わった後、 感謝の気持ちでいっぱいになりました。 ありがとうございます!! 私の青春♪ 岩波ホール♪♪
by palmarosaK
| 2022-07-23 18:04
| 映画鑑賞
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