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横浜のジャック&ベティで 5月30日(金)、 「AKIKO――あるダンサーの肖像」、 「そしてAKIKOは…… ~あるダンサーの肖像~」を 続けて2本観ました。 (羽田澄子演出 長編ドキュメンタリー映画) http://www.jiyu-kobo.com/AKIKO/ どうしてもこの映画を観たかったのには 理由がありました。 1985年に東京・神保町の岩波ホールで 上映されていた当時、 大学生だった私は、 この映画館で 映画のチケットや パンフレットの販売をしたり、 お客様のお席の誘導をしたりする アルバイトをしていました。 にも関わらず、 この映画を見逃してしまったことを ずっと悔やんでいたから。 その当時も 東京国際映画祭で上映されたこと、 話題のドキュメンタリー映画ということで、 映画館は大勢の人で賑わっていたことを 記憶しています。 その「AKIKO」に続編の映画が できたことをニュースで知り、 横浜でも1週間だけ上映されるとあって 映画の最終日に、 2本続けて観ることができました。 アキコ・カンダさんは、日本モダン・ダンス界の第一人者。 1985年につくられた「AKIKO-あるダンサーの肖像」は、 40代のAKIKOさん(以下、AKIKOと記載)がダンスに生きる姿を ドキュメンタリーとしておさめており、 文化庁芸術作品賞として高い評価を得られたそうです。 初めて映像を通してお目にかかった印象は、 「いつまでも少女のような心を持った透明な女性」。 宝塚歌劇団の方々に ニューヨークから帰国した 翌年、1962年から、 ご体調が悪くなられる直前まで お車で宝塚まで出向き、 ご指導されていたそうです。 そのキャリア約50年。 偶然にも、 AKIKOのドキュメントを2本続けてみられたことで、 40代のAKIKO、 70代のAKIKO そのどちらも、 時間をあけずに観ることができた私は 結果的には いま、観ることができてラッキーだったと思います。 ご存命であれば御年78歳。 まだまだご自分の踊りを追求しておられるでしょう。 日本女子大学付属中学時代の 旧友の証言により、 彼女がその当時から、 ダンスがいかに「生きがい」であったかがうかがえます。 そのエピソードの1つに、 学内で毎年開催される、 ダンスコンクールの話があります。 提示された課題曲に クラスごとに振付をし、みんなで踊る。 AKIKOがいるクラスは いつも優勝したそうです。 日本女子大学の国文科に進学した際に 出会った、ニューヨークの マーサ・グレアム氏の日本公演。 導かれるようにして、 ニューヨークのマーサ・グレアム氏に 師事したい一心で渡米します。 そのとき、この決心を 後押ししてくれたのが当時クラスリーダーであった 青木生子さん(タカコ)という女性だったそうです。 後に、日本女子大学の学長になられるのですが 私(影山)が在学していた4年間、 青木先生が学長でいらしたことは いまさらではありますが、 ご縁を感じずにはいられませんでした。 いまから60年前の日本で、 20歳になるか、ならないかの女性が 「アメリカに行く」ことは 容易なことではなかったと推測できます。 それでも、 ドキュメンタリーに出て来られるお母様は それを淡々と受け止め(内心はそうではなかったと思いますが) AKIKOの思い通りにしてあげようという 包容力のある家族のサポートなくしては いまのAKIKOはなかった……、 と伺えるようなシーンが出てきます。 アメリカでも、 師事していたマーサ師に気に入られて 大役をみごとにこなすAKIKOですが、 「自分らしいダンスを見つけ、踊りたい」と 帰国することになります。 そのときのご家族は、 「帰国してからのAKIKOは性格が変わった」 と、戸惑っておられた様子が エピソードとして語られています。 5年間単身渡米して培った生活の中で 得られた自己主張するという生活習慣は 日本に帰国以降も、 変わることなく、 彼女の生活の一部になっていったようです。 帰国し、結婚し、子どもが授かり、 それでも踊りへの情熱は燃え続けるAKIKOにとって 「踊り以外のことは考えられない」と 離婚し、子どもは実家の埼玉の母親、姉に 預け、自身は都内のスタジオで生活することになります。 ドキュメンタリ―では、 1人息子であり作家の神田邦彦氏が インタビューに答えています。 高校生のときから AKIKOに言われていたことがあるといいます。 「私は母親としては失格だけれど、 あなたに『芸術家としては立派だった』と 思ってもらえるようにがんばっている」と。 AKIKOの手料理で食べたことがあるのは 目玉焼き1回だけ、 一緒に暮らしたことも記憶にない、 ただ、恨みがましく思うことがない 穏やかな息子さんに正直驚きました。 もちろん、AKIKOを支えておられる(た) お母様、お姉様、カンパニーのスタッフの みなさまの強力なサポートあっての こととは推測できますが、 母としての生きざま、 父としての生きざま、 祖母としての生きざま……などなど しっかりと子に、孫に 見せることで、 子どもは、親や祖父母を尊敬するような おだやかな子どもに育つことを この映画はさらりとさりげなく、 私たちに垣間見せてくれています。 「食」以外のつながりからでも 親と子はしっかりと 深い愛情で結びつくことができる。 食関係者として、 また違った視点でこの映画を観ることができたのも、 29年間、待った甲斐があったと思いました。 前作の映画で、 40代のAKIKOは、 夜、寝る前に、 ベッドの上で煙草を吸うことが 極上の幸せ……かのように それが彼女の信条のように描かれています。 どこか、そのシーンが マリリン・モンローや、 越路吹雪(こーちゃん)のスタイルと 似ているような……。 27年ぶりの続編では、 AKIKOが肺がんであることがわかり、 それでも、 精力的に踊り、指導し……という シーンが描かれていました。 こんなに細い体で あれだけの踊りができる体力って……、 と観ているわれわれのほうが おせっかいながら心配してしまう……。 それでも、 人は、自分に「生きがい」がある限り、 限界を感じないどころか、 気力はますます強くなり、 クリエイティブな意欲もそれに比例する。 AKIKO最後の公演は、 医師に何度も止められたという。 そして、最後の舞台は、 病院から通って出演されたとのこと。 その3日間の公演のことを 担当医師はこう息子さんに伝えたといいます。 「どんなに治療しても上がらなかった白血球の数値が 公演中の3日間だけ、わずかに上がっているんです」と。 科学的には不可能なことでも、 その人の「生きがい」が いっときでも、舞台を可能に、 その人やまわりの人を健康に させてしまうのだということを AKIKOは証明してくれたのだと思いました。 公演が終わり、 12日後、AKIKOはこの世を去りました。 タイムリーに観ることができなかった悔いは 残るものの、 AKIKOの生きた時代に 生きることができたことに感謝しました。 そして、 映像を通してしか知りえなかったAKIKOの人生を 最初の映画がつくられて29年経ったいま、 横浜の映画館でこの映画の最終日に まにあうように観ることができたことに感謝しました。 ダンスはAKIKOにとっての哲学だった。 じゃあ、「私の哲学はと聞かれたら……?」 彼女の一貫して変わらぬスタイルに触発され、 映画館の帰り道、自宅までの道のりを 1時間かけてゆっくり歩きました。
by palmarosak
| 2014-07-14 16:56
| 映画鑑賞
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