兵庫県赤穂市の病院で、12月にうまれました。
母の実家が播州赤穂で、幼い頃は
近くにある、赤穂城跡や大石神社が遊び場所。
花岳寺という四十七士のお墓が
あるお寺や、資料館、
なんだか赤穂浪士に囲まれているかのような幼少時代。
祖父母や親戚、そして両親から、
「ご先祖様は、浅野家の御典医(眼医者)だったそうよ」
と聞かされていたことも、赤穂浪士になみなみならぬ
思いを持つことになった理由かもしれません。
2度目の転職で、泉岳寺駅近くの病院に勤務になったとき、
「なおちゃん、きっとよばれたのね」と
親戚一同、喜んでくれたことを思いだす。
元禄15年12月14日、浅野長矩の仇を討つために
赤穂浪士四十七士が、討ち入りした日。
浅野長矩、38歳の生涯を終え、
討ち入りした大石内蔵助、当時45歳。
今日、12月14日、泉岳寺に行きました。
300年後、多くの参拝者であふれる泉岳寺を
彼らは予想していただろうか。
討ち入りした者、討ち入りしなかった者、
それぞれ、いろいろな想いがあったと思う。
討ち入りしなかった者は、卑怯者と後ろ指
さされてでも、生きる道を決意した。
300年後のいま、討ち入りした者
だけがこうして、後世に語られる。
そして、名前を残すことで、その人たちの
人生がドラマになる。
それぞれの人生。
優劣つけるものではない。
泉岳寺の四十七士のお墓の前で、
もし自分だったらどういう決断をしていただろうと、
考えてみた。答えは決まっているけれど。